第36章 こちらの彼ら
カガリたちを救うべく準備を進めている世界で、かつてラウ・ル・クルーゼと呼ばれていた男は愉快そうな顔で懐かしいプラントを訪れていた。かつてはザフトの指揮官の1人としてこの世界を守る振りをして破滅へと誘おうとしていた彼だが、今回は懐かしい友人の元を訪れる事にしていた。
プラントの市民は怪しげな仮面を被った地球連合軍の士官制服を着た男に訝しげな視線を向けてきたり、あるいは露骨に敵意を向けて来る者も居たが勿論そんな物をネオは気にしたりはしない。
ネオは慣れた足取りでプラント評議会ビルへと足を運び、そこの受付で最高評議会議長への面会を申し込んだ。受付の女性は怪し過ぎる風貌の地球連合軍士官に暫し呆気にとられていたが、すぐに我に返ると型通りの対応で応じてきた。
「失礼、私は地球連合軍のネオ・ロアノーク大佐と言います。最高評議会議長への面会をお願いしたいのですが」
「議長への面会ですか?」
「ええ、事前に申し込みをして受理されている筈ですが」
ネオの回答を聞いて受付がその辺りの確認を始め、確認が取れたのかネオに問題無い事を告げてきた。
「はい、ロアノーク大佐の面会の予定の確認が取れました。議長は執務室でお待ちです。今案内を呼びますので……」
「いや、大丈夫だよ。道順は覚えているのでね」
案内を不要と伝えてネオは評議会ビルの中へと歩いていく。何故地球連合軍の士官が評議会ビルの構造を知っているのかと受付の女性は疑問を持ったが、本当にロアノーク大佐は議長の執務室へと歩いて行っていたので道順を知っているのは確かのようだ。
数年ぶりに評議会ビルの中を歩いていたネオは懐かしい議長の執務室の前まで来て状況の皮肉さに笑みを浮かべていた。かつてプラントの全てを欺くためにここを訪れていた自分が、今度はアズラエルの部下としてここに来ているのだ。皮肉な運命という言葉で片付けられる状況では無いだろう。
ネオは執務室の扉の前まで来ると右手で2度ノックをした。少し待つと中から入るように返事が来て、扉を開ける。そして議長の椅子に座っている男を見てネオは足を止め、そして悩むように首を傾げて問いかけるようにその名を口にした。
「ギルバート・デュランダル議長?」
ネオにやや自信無さげにその名を呼ばれた男は、書類に落としていた視線を上げると大柄な体を震わせて笑い声を上げた。
「ははははは、久しぶりに顔を合わせたというのに、その面妖な仮面は何だねクルーゼ?」
「止めてくれないかデュランダル、今はネオ・ロアノークだ」
「そうらしいな。何があったのかは聞いてもどうせ都合の良い事しか言わないのだろうが、まあそこのソファーにでも腰かけてくれ」
デュランダルはネオにソファーを勧め、自分も椅子から体を起こすと少し辛そうに歩いてきてネオと向かい合うようにソファーに腰を降ろした。そして呆れたような視線を自分に向けてくるネオに気まずそうな笑いを浮かべる。
「はははは、何か言いたそうだね?」
「いや、言いたそうというか言いたい事が多すぎて困るというか、その体はどうしたのだね?」
ネオが遠慮のない視線でデュランダルの体を上から下まで観察するように見ていく。自分が知っている3年前のデュランダルは長身痩躯の男だった筈だが、目の前に居る男は随分と丸くなっている。精神的にではなく肉体的にだ。先ほど難儀そうに体を動かしていた事といい、どこか体を悪くしているのではないだろうか。
ネオにそう聞かれたデュランダルはそれまでの笑顔を消すと、急に真顔になって視線を落とし、深刻そうな声で話し出した。
「ああ、君が姿を消してから色々あってね。プラントも大変だったのだよ」
「大変だったのは分かるが、それで何故君がそんなに太ってしまうのだ。普通は激務で痩せるのではないか?」
「……これは、個人的な事情も絡んでいてね」
「君が以前に言っていた例のディスティニープランとやらかね?」
君がご執心だったあのプランはどうかねと問われ、デュランダルは苦々しい顔になってネオを睨み付けた。
「残念ながら、私の思い描いていた結果とはなっていないよ。今はプランの修正を行っているところだ」
ディスティニープラン。デュランダルが研究の末に提唱するようになった遺伝子を基に最適の人材配置を行う事で社会をより効率化して最大の成果を得られるようにする社会システム。デュランダルは評議会議長に選ばれた時にこの社会システムをプラントに適用する事を求めたが他の議員も民衆も難色を示し、結局プラントコロニーの1基を使って社会実験を始めるところからスタートしている。
これは当初は確かにデュランダルの理想通りの結果をもたらしてそのコロニー内の社会を大きく発展させ、戦乱で荒廃していたプラント内で異質とさえ思えるような繁栄を築いている。だがデュランダルが喜んでいたのは最初だけであった。確かにそのコロニー内は発展していて現在もそれは続いている。だが社会システムとしてはだんだんと崩壊を始めている事をデュランダルはデータから見抜いてた。
デュランダルはこのディスティニープランをあくまで世界を安定させる手段として全体の幸福のために運用することを考えていたのに、実験から得られたデータは効率を極限まで追求していく過程で極一部の優秀な人材だけで社会を回すようになり、一定の水準に達しない人材は容赦なく切り捨てられて放逐されている事が分かったのだ。
これでも発展が続いているのだから、ディスティニープランが社会を効率的に運用して持続的な発展を続けるという点では申し分のない結果が得られたのだが、それに伴う犠牲が余りに大き過ぎる。コーディネイターですら閾値に達しない者は容赦なく切り捨てられるのだ、ナチュラルでは余程の上澄みでなければ最初から居場所など無いだろう。
この結果を前に、デュランダルは評議員や民衆の反対を受け入れたことが正しかったのだという現実を受け入れるしかない事を自覚させられた。そしてプランの修正を行うことを決め、どうすれば目指す理想を実現できるのかについて現在も研究を続けている。
結果的に言ってしまえば、この実験で得られたのは極端に効率を追求していくと何時の間にか社会の発展が目的にすり替わってしまい、そこで生きる人間は邪魔になっていくという事だった。初期の大量にマンパワーが必要な段階では大勢が幸せになれたが、その段階を過ぎれば社会を回すのに必要な人数は大幅に減少する。その社会は何時しか運営する少数の人間の理想の玩具へと変わり、そこで生きる人間などは不要となっていくのだ。効率を考えれば役に立たない人間など資源を無駄に食い潰すだけの害悪でしかないのだから、排除する方向に向かうのは当然だった。
これがゲームであれば何の問題も無いのだが、現実でこれを適用されたら大変な事になる。思い付いた事をとりあえずやってみようとするプラントの科学者に共通する悪癖からはデュランダルも逃れられなかったのだ。いや、コーディネイターの持つ欠陥なのかもしれない。
これらの結果を聞かされたネオは呆れれば良いのか笑えば良いのか分からないという顔で暫しの間言葉に詰まり、そして大きく息を吐きだした。
「まさか、効率を追求した先にあるのが弱者の際限ない切り捨てだとは思わなかったよ」
「私が言うのもなんだが、良くそれで政治に関わる気になったな?」
「仕方が無いだろう、プラントの政治指導者はコンピューターが選ぶのだからな」
「優秀な者をコンピューターが選別して指導者とすればよりよい社会となるか。なるほど、こうしてみるとディスティニープランもコーディネイターの持つ過ちの産物と言えるのかもしれんな」
愉快そうに笑うネオ。彼にとってはナチュラルもコーディネイターも等しく愚かな存在であり、そこに新たなネタが加わっただけに過ぎないが、デュランダルは反応に困るという顔をしていた。
「ディスティニープランがコーディネイターの持つ過ちの産物?」
「そうではないのかね。プラントもより優秀な者が指導者となれば、優秀な者が上に立てばと言って能力だけを見て社会を作って来たのだ。その過程で能力の劣るコーディネイターが切り捨てられてプラントに居られなくなっている事は君だって知っているだろう?」
ネオの指摘にデュランダルは押し黙った。コーディネイターと言ってもその能力には大きな差異が存在し、一般的には金の掛けられた者ほどより高い能力を持つ。だが中にはナチュラルと大差の無い者もおり、そういった者にはプラントは生き辛い世界となっている。そういったコーディネイターが裏家業に流れたりブルーコスモスに加わる事も珍しくはなかった。ザルクにもそのようなコーディネイターが参加していたのだ。
ただ現在では地球にアルビム連合という受け入れ先が出来たので、そういったコーディネイターが流れ着くようになっている。
ディスティニープランも所詮はこのプラントの、いやコーディネイターの生き様の縮図に過ぎないと言われたデュランダルはクルーゼに反論することが出来なかった。何より自分がそれに納得してしまっている。
何も言わないディランダルにクルーゼは詰まらなそうに鼻を鳴らし、テーブルの上に置かれているコーヒーを一口啜って喉を潤した。
「それで、そのディスティニープランと君のお腹がでっぷりと出ているのはどういう関係があるのかな?」
ディスティニープランの話が君が太ることにどう関わるのだと聞いてくるネオに、デュランダルは淀みのように重苦しい溜息を吐いた。
「……実は、君たちザルクが敗北する少し前の事になるのだが、私の知人の女性が亡くなってね」
「ふむ、それで?」
「彼女は生前に7人の子供を育てていてね。私がその7人を引き取ることにしたのだ」
そこでデュランダルは一度言葉を切り、しばしの逡巡の後で言い難そうに続きを話し出した。
「彼女は私と同じメンデルの研究者でね。彼女の研究は美容に関わる物だったのだが、例のテロで自分が研究していた薬品を浴びてしまって体に変調をきたしていた。彼女は私のディスティニープランにも賛意を示してくれて色々と協力していたのだが」
「メンデルで美容品の研究をね。まあそれは良いが、7人とは随分と子沢山だな。まさかとは思うが」
「クローンなどでは無い、彼らはコーディネイターだよ。キラ・ヤマトと同じく人工子宮から生み出された極めて特殊なコーディネイター、コーディネイターとして最も完成された存在だ。「アコード」と名付けられているディスティニープランの社会運営のための管理者として生み出された特別な存在だよ」
キラ・ヤマトと同じ人工子宮から生み出された極めて特殊なコーディネイターと聞かされてネオは一瞬肩を震わせて殺気を滲ませた。それはこの男にとっては、いや彼が率いたザルクにとって最も許し難い存在に他ならない。
デュランダルは不味いかと警戒したが、幸いにもネオはそれ以上の事をしようとはしなかった。ただコーヒーを口に運び、一口飲んで気を落ち着かせている。
「申し訳なかったね、柄にも無く感情的になったようだ。それで、その最高のコーディネイターを差し置いて最も完成された、アコードとか言ったか。それを君が引き受けたと?」
「ああ、私にも関係がある事だからね。それが丁度私が議長となることでディスティニープランを進めることが可能となり、彼らにも本来の役割を果たしてもらっている訳なのだが……」
「結果は君の思い描いていたような物とはならなかったと」
嘲るようなネオの言葉にデュランダルは沈痛な表情で頷いた。こんな筈では無かったのだ、多少の齟齬は予想していたが、まさかプラントという環境にアコードまで配置してこのような結果になるとは思っていなかった。
何が間違っていたのか、ディスティニープランという考え自体が間違っていたのか、それともアコードによる管理が間違っていたのか、人は管理されるだけでは駄目だというのだろうか。
苦悩するデュランダルの姿にネオは面白そうな顔で言葉をかけた。
「まあ、好きにすると良い。私は負けたのだ、ならば君には機会が与えられたという事だからな」
「君にそう言ってもらえるとはね。だが、本当に良いのかね、君のあの全てを狂わせるような狂気は何処に行ったのかな?」
「私の敗北と共に消え去ったさ、今ここに居るのは死ぬまでの僅かな時間を戯れに過ごすだけの抜け殻だ」
だからキラ・ヤマトに力を貸してやったのだと胸の内で呟く。そう、ラウ・ル・クルーゼは身を焦がす狂気と共にあのユニウス7の残骸と共に滅び去ったのだ。ここに居るのは僅かな燃えカスに過ぎず、もう世界をどうこうしようなどとは思わなくなっている。あのムウを前にしてすらそうだったのだから。
キラ・ヤマトと過ごして私が拘っていた最高のコーディネイターとはこんな駄目人間だったのかと絶望して色々どうでも良くなった、などという訳ではないのだ。
2人が深刻なのに何処か空虚な話をしていた時、いきなり執務室の扉がノックされる音が聞こえた。それを聞いたデュランダルが顔を上げて誰何の声を上げる。
「誰だね、今日は客が来るから通すなと伝達をしてあった筈だが?」
「私だよ、ギル」
そう断って入って来たのは肩辺りまで金色の髪を伸ばした物腰の穏やかそうな、もう少し痩せていれば容姿端麗と評せるだろう小太りの青年であった。その青年にネオが唖然としていると、デュランダルが溜息を漏らして彼に苦言を呈した。
「誰が入室を許可したのだオルフェ、今日は報告を持ってくる日では無いと思ったが?」
「無礼をお許しくださいギル、個人的に私もネオ大佐とお会いしたくて」
「私を知っているのかね?」
ネオが疑わしげな視線をオルフェと呼ばれた青年へと向ける。その視線には僅かばかりの殺気を込めていたが、この青年は意に介した風もなくどうかしたのかと言いたげに穏やかな笑みを浮かべている。だが、その笑顔がネオの警戒心を一気に跳ね上げていた。その目に宿る狂気のような何かを見て取ったクルーゼは、この男が狂っている訳では無いと察した。この男は正気だ、自分のような狂気から来る異常性ではなく、正気のまま異常性を宿している。根本的に何かが人間から外れているのだ。こいつは自分と同じように箍が外れている。一体今までどういう生き方をしてきたのだ。
ネオが苛立ちを浮かべてデュランダルを見る。その視線を受けてデュランダルも小さく頷いたが、口に出しては何も言わなかった。だがそれがネオに一つの答えを与えていた。ディスティニープランの失敗はプランだけの問題ではない、その運営にあたらせているというアコードがそもそも異常者なのだ。
ネオが警戒心を?き出しにしてデュランダルの後ろに立つ青年を睨みつけていると、いきなり彼から変な音楽が聞こえてきた。それを聞いた青年が失礼と断りを入れて内ポケットから携帯端末を取り出して部屋の外へと出ていく。それを見送ったデュランダルはようやく肩の力を抜いてネオを見た。
「すまないね、彼はオルフェ・ラム・タオ。先ほど言ったアコードのリーダー格にある人物だ」
「デュランダル、彼は明らかに頭のネジが外れている。私と同類の人間だぞ。何故そんな男に自分の計画を任せているのだ?」
ネオの問いにデュランダルは目を閉じて黙考し、そしてネオに忠告してきた。
「ネオ、この部屋の中ならば良いが、外では自分の思考を極力隠すことだ」
「どういうことかね?」
「アコードはテレパス能力を持っている。その力でアコード同士で思考を共有したり、他人の表層意識を読み取る事も出来るのだよ。この部屋には私がその種の能力を妨害する装置を備え付けているが、部屋の外には効果が無い」
「……遺伝子操作もそこまで来たのか」
ネオが呆れた声を漏らす。人の業は一体何処まで罪を重ねれば満足するというのだろうか。まさかとうとう超能力者まで生み出してしまうとは
そしてその呆れはやがて空虚な笑いを呼び、かつて自分をこの世界に繋ぎとめた男へ憐れみを込めた声で小さく呼びかけていた。。
「これが君が守ろうとしている世界だよ、分かっているのかアレックス君?」
この世界の為に最高のコーディネイターはナチュラルのラウ・ル・クルーゼに敗れて戦死した、という事実を残して世界から消える道を選んだキラ・ヤマトという男の心意気を踏み躙るような現実がここにある。彼は死んでみせる必要などなかったのだ、彼よりもっと恐ろしい化け物がプラントに居たのだから。
最高のコーディネイター以上の化け物が既に作られていた。ならば、今はどうなのだ。更にそれを超える化け物が何処かで作られているのではないのか。そしてその先は。かつて自分がキラに突き付けた人の業は目の前に現実となってそれを突き付けてきている。一度は彼らが必死に回避して見せた滅びは、別方向からすぐそこまで来ているのではないのか。
「ディスティニープランの管理者としてアコードが作られたと言ったな。それがどうしてあんな化け物になっている、彼の精神性は我々の常識から完全に逸脱しているのではないのか?」
「……流石だねクルーゼ、一目でそこに気付いたのは君が初めてだ」
「茶化すな、彼は正気だぞ。正気でありながら躊躇いもなく人間を粛正出来る狂人だ。なぜあんな人間が生まれたのだ。教育の結果か、それともアコードはそのように調整されているのか?」
教育の結果ならばまだ矯正の可能性があるが、そのような精神性を持つように作られたというのならば完全に人類の闇そのものだ。しかもそれにデュランダルも関わっているという。
「……故人を中傷したくはないのだが、彼らの精神性には彼らの母親の教育が大きく関係していたようだ」
「私に言う資格は無いのだろうが、とんでもない保護者だな」
「メンデルのテロが無ければまた違ったのだろうが、あのテロで全てを無くした彼女は歪んでしまってね。ディスティニープランの賛同者ではあったのだが、彼女はこれを人類の支配のための手段と見做すようになった」
「つまり、その管理者であるアコードを人類支配の為の駒として極端に傲慢で残忍になるように教育したと?」
「残忍ではない、彼らには我々のような善悪の概念自体が希薄なのだ。私が彼らを引き取ったとき、彼らはゲームでパラメータを調整するような感覚で人間を殺害出来るような精神性を持ってしまっていた。ナチュラルやコーディネイターを自分たちと同じ生き物ではなく、だだの数字のように認識していた」
シミュレーションゲームで国家運営をするような感覚で彼らは物事を動かす。ゆえに最大効率を追求していられるのだが、ここはゲームではなく現実であり、運営されている社会にはゲームの数値ではなく生きた人間が居る。
彼らを育てた女性、アウラが何を考えてこのような教育を施したのかは今となっては分からない。自分が引き取ったときにはすでに青年と言える段階になっていたオルフェ達を矯正することは困難かもしれない。
ただまだ子供だった少女、リデラートだけは可能性があると考えてあえて他のアコードから切り離して一般のアカデミーへ入学させ、寄宿舎生活をさせることでアコードと距離を取りつつ他のコーディネイターと交わらせて生活させている。もしリデラートに変化が起きるようなら、他のアコードにも可能性が出てくる。
「アコードに任せた事が間違いだったのなら、ディスティニープランは大幅な修正を必要とする。それは出来れば避けたいのだよ」
「色々考え直す段階だと思うがね」
まだ拘るのかとネオは呆れた声を友人へとかけた。自分でも既に計画が破綻していると認めているのに、まだ失敗を受け入れられないでいる。彼もまたコーディネイターの科学者なのだ。
だがまあ、それをこれ以上止める気はネオには無かった。彼には機会が与え有られ、それを使って彼は自分の夢を体現しようとしているのだ。たとえその結果が彼の望んだものでは無かったとしても、それを邪魔する権利も理由も自分には無い。だからネオは、これ以上デュランダルの悩みに口を出すのを止めて自分が気になっている事を問いかけた。
「ところで、レイは元気かね?」
「……あ、ああ、今はグラディス隊でMS隊隊長をやっているよ。中々苦労しているようだが」
「そうか、元気ならそれで良い」
ネオが彼にしては珍しく優しい声で答え、デュランダルの前に沢山のカプセルが入った瓶を幾つか置いていく。それをデュランダルは訝しげな眼で見た。
「これは?」
「アズラエルの所で開発された新しい成長抑制剤だよ。これがあれば、あいつの命も少しは伸ばせるだろう」
自分とは異なり、レイは未来を生きたいと願っている。だからネオはレイを少しでも助けてやりたかった。
「これをレイに渡せば良いのかね?」
「ああ、私の事は伝えず、ただ地球から新薬を手に入れたとでも言っておいてくれ。以降はこちらから定期的に薬を送れるよう手配しておく」
「良いのかね、君からと知ればレイも喜ぶと思うが?」
「4年前に死んだ男が今更墓場から出てきても混乱させるだけだよ、私はあそこで死んでいるのだ」
あの日、地球を目前にしたユニウス7の残骸と共にラウ・ル・クルーゼは死んだ。その事を今更引っ繰り返すつもりは自分には無く、何かを成そうという意欲も無い。ただアズラエルの指示に従って世界を思い通りにしているつもりの奴らを炙り出す事だけが最後の生き甲斐となっていた。
その意味では目の前に居る男も排除対象ではあるのだが、ネオにはデュランダルを糾弾する意思は特に無かった。この男、人類の抹殺を目論んだ割に友人関係には妙に甘い面が有ったりするのだ。
プラントから離れた地、地球上の南太平洋上に浮かぶ1隻のクルーザー。一見何処でも見かけるごく普通の船で、似たような船はその辺に何隻も見える。ここはアルビム連合の領海内で、釣りを楽しみに来る客で賑わっている海域だ。
その中の1隻の船に、一見何でもないように見えるごく普通のフィッシングクルーザーで釣りを楽しんでいる3人の釣り客の姿があったが、その正体を知れば誰もが驚愕しただろう。ここで釣りをしている男たちはそれぞれシーゲル・クライン、パトリック・ザラ、パーネル・ジェセックという、かつてプラント評議会で議員や議長を務めて大戦時の戦争指導をしていた指導者たちである。
プラント大戦後に結ばれたユニウス条約により公職から追放となった3人は現在は完全に政界から引退し、こうして余生を楽しむ日々を送っている。
なんだか不満そうな顔のシーゲルとパトリックを他所に、ジェセックが自分の竿を立てて必死にリールを巻いている。
「おお、また来たな。今日は良い日だぞ2人とも」
「そうか、良かったな」
「なんであいつばかり……」
機嫌の良さそうなジェセックが魚と格闘する横で2人はブスっとした顔で自分の竿先を見ている。今日は2人は何故か餌も取られる事無くピクリともしない竿に理不尽なものを感じていたのだ。同じ船で同じポイントで釣っているのにどうしてあいつばかりと。
船の上で微妙な空気が流れる中に、若い女性の声が飛び込んできた。
「皆さん、そろそろ気分でも変えませんか。お茶とお菓子をご用意しましたよ」
船内からアーシャが出て来て3人に声を掛け、その後ろでイタラ老が既に自分のお茶を湯飲みで啜っている。どうやら日本茶を用意していたようだ。
アーシャに呼ばれてシーゲルとパトリックは頷き合うと仕掛けを取り入れて竿を置き、体を起こして背筋を伸ばす。そして船内に戻ろうとした2人に向けて、ジェセックが焦った声を掛けてきた。
「おい2人とも、思ったよりもでかそうなんだ、タモを用意してくれ!」
ジェセックに頼まれた2人は1人だけ景気の良い友人に向けて苛立たしそうな視線を向けていたが、それでも釣り仲間としてのマナーが優先したのか、パトリックが嫌そうにタモを手にジェセックの元へと歩いていく。それを見送ったシーゲルの隣りにイタラがやって来た。
「今日はボウズのようじゃな」
「いやいや、まだ分かりませんよ」
「午後から潮目が変わると思っておるのかの」
まだ諦めていない様子のシーゲルにイタラはツキの無い日もあるのだぞと言って船内へと戻っていく。それを聞いたシーゲルは苦笑いしながら友人たちが魚を取り込んでいる様子を眺めていた。
船室に集まった5人はアーシャの用意してくれたお茶と極東連合から取り寄せていた和菓子を口にしながら暫し歓談を楽しんでいたが、やがて話題はこの世界から消えてしまったパトリックの息子の事へと移っていった。
「しかしパトリック、お前の息子もとんでもない事に巻き込まれたものだな」
「平行世界に飛ばされたという話だったか。そんな物が実在したと観測されたことは科学者としては大いに興味を引かれるところだが」
科学者という視点で見れば平行世界という存在が実在することが観測され、かつ向こう側に行ってしまったアスランたちと連絡を取る手段も確立されたというのは驚天動地の事態なのだが、同時に別の問題も生まれてしまった。
そう、もし平行世界の情報を入手してしまって、それがこちらより良い世界であった場合、自分たちはどうすれば良いのかという事だ。自分たちはこの世界しか知らない、他の可能性など夢物語だったからこれまでは現実を前に諦めることが出来た。だがもし他の世界から別の可能性を得ることが出来たら、自分たちはその誘惑に、恐ろしさに抗えるのだろうか。
そう、もしあの大戦が起きない世界を見てしまったら、もし愛する人が失われない世界を見てしまったら、もしコーディネイターが生まれない世界を見てしまったら。
世の中には知らない方が良い事もある。その可能性に気付いた者たちはこの装置の破壊を提言したのだが、これには関係国から待ったがかかり、現在平行世界に送られてしまった人間の救助が完了するまではこのまま使うと決定されている。
実はジェセックもこの装置の破壊を求めた者の1人だ。それがアスランの切り捨てになると分かっていても、その危険性を考えれば止むを得ないと判断している。
このジェセックの判断に対してパトリックは特に反応を見せてはいなかった。シーゲルなどは彼が内心で激怒していたことを察してはいたが、それを表には全く出していない。鋼鉄の男の面目躍如という所だったが、それはそれとして両者の間に立たされてしまったシーゲルの心労は大変なものがあった。
向こう側と連絡が付いて息子の無事を確かめられたパトリックは、平然としながらもプラントに戻るなり妻の墓へと行ってしまい暫く戻ってこなかった。
現在は彼らの救出のために多くの者たちが知恵と力を集めているのだが、向こうが戦争状態で彼らがそれに巻き込まれていると分かってからは俄にその動きが活発化してしまっている。アズラエルが主導する精鋭部隊を集めての増援派遣の計画も現実味を帯びてきていてすでに部隊編成が始まっているという話だったが、より大きな動きも起きている。
地球連合軍のハルバートン中将が檄を飛ばしてより大規模な部隊の派遣を求め、困った事にそれに同調する動きが各国にはある。先の大戦で勇名を馳せたカガリは軍人の間では人気が高く、彼女の身が危ういと聞かされた者たちが自分たちも救出に行かせろと動き出していた。また彼女と一緒に行方不明になったトール・ケーニッヒやフレイ・アルスターも大戦の英雄として名を残しており、特にパイロットの間では人望がある。つまりアスランも含めて面倒な集団が纏めて誘拐されたような状況になっているのだ。
もし彼らが団結して動き出したら非常に厄介な事になる。まさに平行世界との間で異世界戦争などという冗談のような事が現実として起きようとしている。こんな頭の痛い問題が自分たちが政治指導者の時に起きなくて良かったとシーゲルとジェセックは安堵の声を漏らしていたほどだ。逆に今のパトリックは一切の感情を表に出さないまま気が付いたら向こう側に付いていそうな怖さがある。何時ものあの表情で。
何やら微妙な緊張感が漂う船室の中でアーシャが困った顔になっていると、それを見かねたのかイタラがわざとらしく大きな音を立てて咳払いをし、それで我に返った3人が顔を見合わせて、そしてバツの悪い顔でイタラを見ている。
「全く、良い年した大人が3人揃って年頃の娘を怯えさせるんじゃないわい」
「無視わけありません、イタラ様、アーシャさん」
パトリックが娘のような年頃の女性に頭を下げ、シーゲルとジェセックもそれに倣う。プラントの重鎮3人に頭を下げられたアーシャは狼狽えていたが、イタラは大笑いしていた。
「受け取っといてやれアーシャ、遊び場に仕事を持ち込んだ男の詫びじゃよ」
「は、はあ……」
意味が分からず戸惑う様子のアーシャにイタラは面白そうに笑いだし、3人は恐縮してしまった。
アーシャに聞かせて良い話しでは無いと悟った3人はこの話を止め、話を昔話へと移していく。それはかつての黄道同盟時代の、余り表には出ていないシーゲルたちの若い頃の話が中心となっていたが、そこで何やら奇妙な話が出てきた。
「そういえば、レノアさんとパトリックはどうやって知り合ったんだったかな?」
ジェセックが昔を思い出しながら首を傾げている。どうにも2人の出会いに心当たりが無いらしい。ジェセックの言葉にシーゲルとパトリックが顔を見合わせ、言って良いのかとしばし考えてしまう。どうやら余り表に出したくない話のようだ。
「なんだ、黄道同盟時代の活動的に厄介な事でもあったのか?」
「いや、そういう事では無いんだが……」
「レノアさんとパトリックの出会いは、色々複雑でな」
レノアさんは農業を研究するただの植物学者じゃなかったのかとジェセックが首を傾げていると、イタラが我慢出来ないと言わんばかりに大笑いを始めてしまった。
「かっかっかっかっか、何が複雑な事情じゃ、お前らが嫉妬団活動に精を出してたらレノアちゃんにぶちのめされてたのが縁の始まりじゃろうが」
「嫉妬団って、あの世界中で暴れ回ってる謎の変態集団の事ですか?」
正体不明、組織の全貌も人員構成も不明、ただ全員が怪しい黒い被り物をしていてただ女性と仲が良い男性を見境無しに襲って制裁するという傍迷惑な行為を繰り返している集団である。
しかし不思議と死者や重症者が出た事は無く、被害は多いが悪ふざけと言えなくもない。ただこの集団、異常な程に身体能力が高く、強力なコーディネイターかと思って警察が出動して制圧してみたらナチュラルだったなどという事が普通に起きている。
一種の宗教的な面があるようで、独神キゾークという聞いた事も無い神を信奉していると言われており、彼らの謎の身体能力などは神の加護によるものであるらしい。
この対処が難しい謎の変態集団は今や世界中で暴れまわっていて各国の治安維持組織にとって共通の頭痛の種となっているのだが、この謎の変態たちに立ち向かうこれまた謎の女性たちの存在も確認されている。素手、あるいは何かの獲物を手に黒い被り物の変態たちを次々に殴り飛ばしていく姿が世界各地で確認されており、古い記録では対物ライフルを手に暴れまわるザフトの赤服の女性が大戦時から世界各地で目撃されていた記録がある。
イタラの突っ込みでジェセックが当時を思い出しながらそうでしたなと頷いている。この未だに良く分からないでいる謎の集団に、シーゲルとパトリックがどう関わっているのだろうか。このアーシャの疑問にはジェセックが答えてくれた。
「今でこそ2人も立派になったが、実は若い頃は黄道同盟の幹部とは別に嫉妬団団長と副団長というもう一つの顔があったんだよ」
「団長と副団長って、嫉妬団のトップって事じゃないですか!?」
なんで後のプラント評議会議長まで務めるような要人が若い頃にそんな事をしていたのだ。というか20年位前にも嫉妬団はあったのかとアーシャが驚いていると、シーゲルとパトリックは露骨に顔を逸らせた。
「まあ若気の至りと言うか、当時は2人とも熱い男でな。それが突然神に出会ったとか言い出したのだから吃驚したものさ」
「その神って、独神キゾークなんですか?」
「まあそうなるんだろうが、そういえばあの頃は別の名前で呼んでたこともあったな?」
ジェセックがシーゲルとパトリックを見る。それはイタラも知らない話だったのか興味深そうにシーゲルとパトリックを見やり、3人から視線で問い詰められた2人は追い詰められた顔を見合わせた。
「神のもう一つの名か」
「もう一つと言うか、そちらの方が真名だったのかもしれんな。何しろご自身がそう名乗られたのだから」
「ああ、だが我らの間では独神キゾークの名が定着したからな」
「まあ、あの名はちょっとな」
シーゲルとパトリックが何とも微妙そうな顔になり、言い難そうに口籠っている。それを見たイタラは珍しいものを見たという顔をしていたが、そんな顔をされたら余計に聞きたくなるもので、イタラは2人に続きを促した。
「一体どんな名を名乗ったんじゃ。そんなに変わった名前だったのか?」
「いや、変わっていると言えば変わっているのですが……」
「こう、男にとって色々アレな名前でして……」
「なんじゃそりゃ、何と名乗ったのじゃ?」
良いから言えと促すイタラ。シーゲルとパトリックはまだ困った顔をしていたが、遂に諦めてその名を教えてくれた。
「……闇童貞、そう名乗っておられました」
「……は?」
イタラの顔が引き攣り、アーシャが固まり、ジェセックがそうそうと頷いている。何故そんな名前なのかと聞かれれば召喚に応じて現れた際にそう名乗ったとしか言えないそうで、余りな名前だったので誰も呼ばなくなり昔からの独神キゾークが今も使われてるらしい。
神を召喚とか言い出した事にアーシャは疑惑の目を向けていたが、これが伝承通りに儀式を行ったら本当に現れたのだという。嫉妬団というのは人類が宇宙に進出する前から存在するらしく、ある程度暴れたら自然消滅的に消えて無くなり、暫くするとまた新しい若者たちが神の加護を得て新しい嫉妬団を結成する。こんな歴史を延々と繋いできて今に至っているらしい。
「何でそんな活動がそんな大昔から今日まで続いてるんです?」
「嫉妬の心は人の根源から湧き出て来るもの、それを否定する事は誰にも出来ないのだよ」
まるでこの世の真理を語り聞かせるようにシーゲルはアーシャに答え、パトリックがその通りと頷いている。そんな物が人類の根源であって欲しくはないアーシャはもう泣きそうな顔でイタラを見るが、イタラは何やら一人で考え込んでブツブツと呟いていた。
「イタラ様、どうかなさいましたか?」
「うん、ちょっと気になることがあっての。そういや昔にレノアちゃんも似たような事を話しとったなと思ってな」
「パトリックさんの奥様とお知り合いだったのですか、イタラ様は?」
「これでも結構顔は広いからの、レノアちゃんとも話したことはあるぞ。2人の馴れ初めとかは多分シーゲルたち以上にな」
それを聞いた途端パトリックが口に含んでいたお茶を吹き出し、唖然とした顔でイタラを見る。パトリックの彼らしくないそんな動揺した姿にニヤリ笑いを浮かべたイタラはとんでもない事を話しだした。
「レノアちゃんがお前と選んだ理由がまさかこんな駄目な人放っておけませんなんて理由だと聞かされた時は笑い死ぬかと思ったわい」
パトリックの顔がどんどん青くなっていくのをニヤニヤと見ながらイタラが過去に目撃したパトリックとレノアの衝撃的な話をアーシャに語っていく。そんな恥ずかしい過去を聞かされてアーシャは喜んでいたが、一緒に巻き込まれたシーゲルとパトリックも羞恥に悶えてしまっていた。どちらにとっても若き日の醜聞など聞かされたくはあるまい。
それは20年以上昔の話、まだイタラが老人と呼ばれる前の頃に起きた小さな事件。
プラントのアプリリウス1を訪れていたイタラは、交渉相手の物分かりの悪さに腹を立てながら宇宙港へ向かう道を歩いていた。プラントの中でも特に裕福層が住むコロニーだけに景観は良く、閉鎖環境のコロニーでありながら多くの緑と水場が広がっている。
「宇宙に贅沢なコロニーを用意したもんだ、他所が作ったコロニーを私物化して好き勝手やってくれる」
独立したいなら相手国に残置資産の代金を支払うのが筋だろうに、それも拒否して好き勝手やっている。それがコーディネイターへの悪感情を更に増やして、地球に住む自分たちにそのとばっちりが来て負の連鎖が加速する。
地球在住コーディネイターとしてプラント側と交渉を重ねているイタラであったが、彼はプラント側の対話をする気の無い態度に腹を立てていた。とはいえこれがコーディネイターだと言われれば否定もし辛く、彼は不満を溜め込みながら地球へと帰ろうとしていたのだ。
だがその時、途中の森の中から何とも気持ちの良い音が聞こえてきた。野球のバットでボールをジャストミートしたような鋭い乾いた音が響き渡り、それを聞いたイタラが関心した顔になる。
「近くで野球でもやっているのか、バッティングセンターでもあるのか?」
時間もあるし、ちょっと見ていくかと思って森の方へと脚を向ける。中に広場でもあるのかと思っていたのだが、何故かそんな物は見当たらず代わりに頭から黒いマスクや三角頭巾を被った男たちがその辺に転がっていたり木の枝に引っ掛かっていた。
一体何が起きているのだと思っていたらまたカキーンという音がして男が飛んでくるのが見えて、こちらに飛んでくるのを見て慌ててその場から飛びのくと、そこに落下してきた男が地面でバウンドして転がっていく。それを見たイタラは驚きを隠せぬままに恐る恐るそのマスクを取ってみると、それは顔面を何かでぶん殴られて白目を剥いているシーゲルだった。
吃驚したイタラはシーゲルが飛んで来た方に向けて歩いていくと、森を抜けた先には小さな泉が広がっていて三角頭巾を被った1人の男と、金属バットを持った見覚えのある女性が対峙している。
「あれは、レノアちゃんか?」
謎の黒頭巾と金属バットを手にしたレノアが対峙している。見れば周囲にも先ほどのシーゲルのように吹っ飛ばされたらしい哀れな犠牲者たちが転がっていて、事情は分からなかったが全員レノアがあのバットで殴り倒したのだろうという事は想像が出来た。
あの優しくて穏やかなレノアが一体何をしているのかとイタラは吃驚していたが、その驚きは対峙する覆面男の声が聞こえた時に驚愕へと変わっていった。
「ま、待ってくれレノア、落ち着いて話し合おう」
「あら、私は変態に名前で呼ばれたくないのだけど?」
「いや、それはその……」
「でもまあ、こんな事から足を洗って真面目になるのなら許してあげて……」
「待ってくれ、これは私のライフワークなのだ!」
折角許してあげると言おうとしたレノアの言葉に被せるようにパトリックが叫ぶ。イタラが混乱した頭で何を馬鹿な事をと突っ込みを入れていたが、それが口に出るよりも早く小気味の良い乾いた音が響き渡り、弾丸ライナーとなったパトリックが近くの木に叩き付けられて跳ね返されて3度バウンドして近くに戻って来て、バットを振り切った姿勢でレノアがすっきりした顔をしていた。
「変態を打つと良い音がしますね。そう思いません、そこのお方?」
どうやら覗き見がバレていたらしい。イタラは恐る恐る木陰から身を出すと、レノアは驚いた顔になった。
「イタラ様ではないですか、何時プラントへ?」
「ああ、まあつい昨日にな。それで、話し合いを終えて戻ろうとしていたのだけど」
「また決裂ですか。プラントの上層部にも困ったものです」
レノアが右手を頬にあてて溜息を吐く。穏健派で穏やかな彼女はイタラの持ちこんでくる地球側の要求に頷いているのだが、プラントの指導層、黄道同盟の関係者は基本的に過激派で武力闘争路線なのでイタラの話に耳を貸さない。
レノアは困り顔のまま近くまで跳ね返って来たパトリックの背中に腰を降ろすと、未だに三角頭巾を被っている婚約者に話しかけた。
「ねえ、あなたはどう思う?」
「こ、腰に来ているから座らないでくれ」
「黄道同盟のリーダー格が情けない事を言わないで」
泣き言を言う尻の下の男にピシャリと言って黙らせるレノア。そのまま暫し男の背中の感触を楽しんで、レノアは男にもうこんな事を辞めるように言った。
「パトリック、もう嫉妬団なんて抜けなさい。私だって恋人を毎回打ち込むのは嫌なのよ?」
「だ、だが、これは我々がやらなくてはいけない事なのだ」
「こんな事続けてるなら、本当に嫌いになるわよ?」
嫌いになる、そう言われたパトリックの体は腰の痛みから来る痙攣がピタリと止まり、そのまま暫くの間沈黙が流れる。そして渋々、本当に渋々という感じでパトリックは奥から絞り出すような声を出した。
「分かった。すぐには無理だが、私は引退する」
「え!?」
心底残念そうに、奥底から絞り出すような声でパトリックが引退すると言ったので、背中に座っていたレノアは聞き間違えかとイタラを見て、イタラは聞き間違えでは無いぞと言ってやるとレノアは持っていた金属バットを落とし、まだ信じられないという顔でイタラを見ていて、やがてそれは泣き顔へと変わってしまった。
「良かった……パトリック、やっと変態から足を洗ってくれるのね」
「レ、レノア、頼むからそろそろどいてくれ」
「私もう、なんて言ったら分からない!」
本当に辛そうな顔で訴えるパトリックだったが、嬉し泣きしているレノアには聞こえていないようだった。そして感極まったのか、レノアがパトリックの名を呼びながら彼の背中で飛び跳ねて頭に抱き着いていった。だがその時、マスクに隠れているパトリックの顔が悲痛の形に歪み、声なき叫びを上げて痙攣を始めてしまう。
それを見たイタラには、聞こえる筈の無い腰からのゴキッという音が聞こえた気がして、同情の眼差しでパトリックを見ている。同じ痛みを知る者としての同情の眼差しで。
「それで、嫉妬団副団長だった当時のパトリックをバットで殴り倒したレノアちゃんはパトリックの背中に腰掛けながら遂にこいつに嫉妬団を抜けるよう約束させたという訳じゃ」
「すいません、感動すれば良いのか呆れれば良いのか私には分かりません」
「一応当時すでに婚約はしておったそうじゃから、婚約者を駄目人間から真人間に戻そうとする彼女の健気な努力が実を結んだシーンじゃぞ?」
「何で婚約者が居るのに嫉妬団をやってるんですかこの人は!?」
机を叩いてパトリックを指さすアーシャ。その先では心労が限界を超えて痙攣を始めているパトリックがいてシーゲルとジェセックが大慌てしていたがもはや気にも留めていない。
「当時は黄道同盟の活動で色々と心労が溜まっていたそうでなあ。それで楽しそうなカップルを見かけたら燃え上がる嫉妬の炎に突き動かされて暴れてストレス発散というサイクルが出来上がっていたらしいぞ」
「全方位に迷惑かけてるじゃないですか、お二人を狙ったブルーコスモスの方がまともに思えてきましたよ!?」
「じゃが嫉妬団員は恐ろしく頑丈で簡単には倒せんのじゃぞ。レノアちゃんも私たちでないと変態は倒せないと言ってたしのう」
「私たちでないと、倒せない?」
「うむ、確かレノアちゃんは将軍様とか婚活神とか言っとったが、パトリックたちの話を考えるとレノアちゃんたちも違う何かから加護を受け取ったのかもしれんなあ」
「……神様って実在してるんでしょうか?」
「どうなんじゃろうなあ、少なくとも世間一般の宗教とは全く関りが無さそうな神様なんじゃが。ちなみにレノアちゃんが嫉妬団をぶちのめすのに使ってたバットは光のバットと言うらしいぞ」
なんか聖遺物みたいな名前だが、そんな物が聖なる何とかなんて名前になって欲しくないなあとアーシャは疲れた頭の片隅で考えてしまった。だがアーシャは信じたくなかったが、これが歴史の裏側でずっと続いている2つの勢力の戦いであり、西暦の頃から延々と続く決着の付かない歴史の裏舞台であった。
闇童貞 せめて名前くらいちゃんと呼んでくれんかなあ。
婚活神 確かに、一応力は貸しているのだし。
闇童貞 儂も色々悪い事してきたけど、この聞き間違いは無いだろう?
婚活神 それを言うなら私もだろう、むしろどうして間違える?
闇童貞 お前さんは最初以降は一度も来ていないから失伝したんじゃないんか?
婚活神 だからといって婚活神は無いだろう、まだ将軍様の方が近いではないか。
闇童貞 そっちも微妙だと思うが。カイザーはん酒もう一杯追加で。
婚活神 私ははんぺんと大根で。
黄金竜 はいよ。
闇童貞 そういやカイザーはんはお仕事どうしてんの?
黄金竜 前の世界も手を離れたし、こちらで暫くのんびりしようかと。
闇童貞 それでおでん屋の屋台をか、いいなあ。
婚活神 そういえばカイザー殿は昔に盾と剣を……
黄金竜 ああ大将軍殿、はんぺんもう1ついかがです?
婚活神 うむ、頂こうか。
闇童貞 お前せこいぞ。
カガリ こいつら誰?
ジム改 光の化身と闇の化身と神様です。
カガリ イザークとフィリスの戦いはこいつらの代理戦争だったのか。
ジム改 神様は向こうの世界には関わってないけどね。
カガリ なんだそりゃ?
ジム改 実はハウメア山で祭っている神様もこの類かもしれんぞ。
カガリ ……帰ったら確認しておくか。
ジム改 まあ気にするな、今は闇皇帝も初代大将軍も降臨してないから。
カガリ 本名はそんな名前だったのか。