第20章 灯された小さな明かり
カガリたちを捕らえて早5日、コンパスの襲撃を待ち受けるブルーコスモスの基地では奇妙な、だが深刻な問題が水面下でゆっくりと広がっていた。将兵の戦意が低下を見せ、ぼうっとする者や遠くを見ている者が増えてきている。脱走も発生するようになっていて、身内を警戒しなくてはいけない状況になっていた。
ここのブルーコスモス部隊を統括するウォロシーロフ中佐は何が起きたのかを調査させたが、兵士たちへの調査を行った部下からの報告では兵が望郷の念を抱くようになり、家族に会いに行きたいと思う者が急激に増えているという。
一体何が起きているのかとウォロシーロフはクリスピーを見たが、彼にも理由が分からず当惑している。ただ、兵たちの気持ちは理解できていた。
「こんな所でコーディネイターへの憎しみだけで戦いを続けているのです、一度感情に火が付けば乱れるのも当然でしょうな」
「どうして急にこうなった?」
「分かりません。ただ、何故でしょうな。私も兵たちに同調する気持ちがあります」
「大尉?」
ウォロシーロフ中佐はどうしたのだとクリスピーを見るが、クリスピーの顔には悲しみの色があった。部下の何時もとは違う様子にウォロシーロフも驚いている。
「どうしたのだ大尉?」
「分からないのです、ただ何故か、亡くした妻子の顔が頭を過るようになってきたのです。最初はまたトラウマがぶり返してきたと思っていたのですが、夢に出てきても前のように飛び起きるようなことも無く、ただ無性に懐かしくて」
思い出さないようにしていた妻子の顔が急に出てくようになったというクリスピーに、ウォロシーロフはなるほどと呟いた。なぜそうなったのかは分からないが、そんなことが他の者にも起きているのだとすれば戦意を失うのも理解できる。ここに居る将兵は奪われた者たちで、だからこそその辛さを共有している者達でもある。
だが何故そうなっている。ここ最近の変化と言えばカガリ・ユラ・アスハとフレイ・アルスターを連れてきたくらいだが、それで将兵に変化が起きるはずが無いだろう。
だが、気になってしまったウォロシーロフは部下に2人が誰と接触したのかを調べさせた。すると別に隠してもいなかったのですぐにフレイが将兵と何度も対話をしていたことが分かった。ただその内容は奪われた者が復讐を止めて欲しいと訴えるだけのもので、別段目新しい内容でもない。彼女も自分たちのように奪われた者だということが分かるくらいだ。
結局フレイは関係ないだろうと思ったウォロシーロフであったが、それでもなぜか興味を消すことが出来ず部下を伴ってカガリの部屋へと向かった。部下に命じてフレイも連れて来させ、カガリの部屋で顔を合わせる。
カガリはウォロシーロフに苛立った顔を向けていたが、入ってきたフレイを見てホッとした顔になった。
「フレイ、大丈夫そうだな」
「ええ、基地内の行動は自由だから」
フレイも元気そうなカガリを見て安心した様子だった。お互いに連絡が取れないようにされていたから心配していたのだ。
お互いを気遣う2人の間に兵士が入って遮り、ウォロシーロフがカガリと向き合うように椅子に座って質問をぶつけてきた。
「聞きたい事がある」
「なんだ?」
「基地の将兵の間で妙な話が広まっていてな、君が何かしたのかと思ってね」
「どうやってだよ、私はずっとここに軟禁されてるんだぞ」
「確かにそうだが、フレイ・アルスターを通じて何かを吹き込んだのではないかと思ってね」
ウォロシーロフは試すような目でカガリの反応を見たが、カガリは本気で何を言っているのか分からないという顔をしていて逆に困惑させられた。本当にこの事態にカガリは何の関係もしていないのか。
「フレイ・アルスターは戦争は終わったんだから故郷に戻って死んだ家族の墓を見舞ってやれと言って回ったそうだ。それがどういう訳か、兵士たちの心を打ったようなのだ」
「フレイらしいな。あいつも父親や戦友の墓参りを大事にしていた」
狂うほどに依存していた父親の墓参りは当然としても、フレイは亡くした戦友の墓参りにも度々行っている。弔ってくれる人もいないオルガ達4人の強化人間の墓もオーブに作っていて、仲間たちと一緒に訪れている。
今はオーブの人間だがアークエンジェル時代のクルーの戦死者を弔うために大西洋連邦の慰霊祭にも参加していた事もある。フレイな仲間の死を背負ってしまうタイプなのだ。
そんな彼女だから戦いなんか止めて故郷に帰れと説得するのは、別に不思議な事ではない。フレイはカガリの知り合いの中では恐らく一番戦争を嫌っている人間であるから。
だが、このカガリの答えはウォロシーロフの望むものでは無かったようだ。彼はフレイが父親を殺された、自分たちの同類であることを知っていてなぜ彼女がそんな事を言い出すのかとカガリを問い詰めてきている。しかし問われたカガリの方はウォロシーロフの疑問を一笑に付していた。
「何故って、そんなの決まってるだろ。あいつはもう誰かに自分と同じ苦しみを味わって欲しいなんて思っていないのさ」
「世迷いごとを言うな、家族を殺された恨みをそう簡単に忘れれるものか!」
「忘れた訳じゃ無いさ。私もあいつも、その事は今でも内心で燻ぶってるよ。ただ、それを誰かにぶつけようって思えなくなるくらいに色々見て、体験してきただけだよ」
そう言ってカガリは深い溜息を付き、ウォロシーロフを見る。その目を見たウォロシーロフや周囲の者は息を飲み、無意識に気圧されてしまう。その目は一国の指導者ではなく、戦場で多くの部下を叱咤してきた英雄、オーブの若き獅子と呼ばれるSEEDを発言させた状態のカガリであった。
初めてその状態のカガリを見たウォロシーロフたちは何時の間にかカガリに見とれていたが、唯一フレイだけは何時の間にか昔のカガリが出ちゃってるなあと思っていた。こうなったカガリは何時もとは雰囲気や凛々しさが違うので慣れている者には分かり易いのだ。
カガリの迫力に飲まれていたウォロシーロフたちであったが、やがて我に返るとどうやらこれ以上話しても収穫は無いと思いウォロシーロフは立ち上がって部屋を後にしようとしたが、その背中にカガリが声をかけた。
「なあ、私からも一ついいか?」
「なんだね?」
「あんたらは、何時まで戦い続けるつもりなんだ?」
カガリにとっては当然のような疑問に、ウォロシーロフもまた当然のように答えた。
「決まっているだろう、コーディネイターを全て始末する時までだ」
「出来ると思うのか、この程度の部隊で?」
「やらねばならんのだよ、この星を守るためにな」
地球を滅ぼうとする宇宙の化け物を根絶やしにするのに何を躊躇う必要があると答え、ウォロシーロフは部屋から出て行った。フレイは立ち尽くしているカガリを心配して駆け寄り、椅子に腰を降ろさせる。
「カガリ、大丈夫?」
「……宇宙の化け物、か。聞いたのは久しぶりだな」
「カガリ……」
「こっちじゃ、まだそうなんだな」
自分たちの世界ではアルビム連合が加わって以来、コーディネイターとプラントを区別する方向に向かった。敵はプラントだという宣伝が続き、味方のコーディネイターの活躍も知らされるようになり、地球連合軍内では勇敢に敵に立ち向かうアルビム連合軍に対する戦友意識も醸成されていった。
そして何よりアズラエルの主導でロゴスがブルーコスモス強硬派を押さえ込み、各国がテロを厳しく取り締まって強硬派を壊滅状態に追い込んだのが大きかった。ロード・ジブリールなどはロゴスの変節を裏切り行為だと罵ったというが、ロゴスにしてみれば自分たちの手から離れ、情勢的にもはや邪魔者でしかなかったブルーコスモス強硬派など始末するのに何の痛痒も無かったのだ。
ただアズラエルは弾圧するだけではなく、転向すれば助かる道も提示して飴を見せ、強硬派の切り崩しも行っていた。これでブルーコスモスのテロは鳴りを潜めるようになり、地球在住コーディネイターの安全はある程度確保されるようになっていたのだ。
まさかまたこんな物を見ることになるとは思わなかった。悲しそうにそう言うカガリに、フレイは黙って頷いた。
フレイがカガリを慰めていると、見張りの兵士がすまなそうな顔で声をかけてきた。
「悪いが、そろそろ戻ってくれないか。余り一緒に居させると俺が……」
「分かったわ」
見張りに声をかけられてフレイが頷いて立ち上がって部屋を後にしようとする。それに見張りが続こうとするが、その見張りにカガリが声をかけた。
「ありがとう、見て見ぬ振りをして時間をくれて」
「いや、そんな礼を言われるような事じゃ」
「それでもだ、ありがとう」
カガリに礼を言われた見張りは照れ臭そうに軍帽を被り直すとフレイに続いて部屋を出て行った。そしてフレイを守る様に部屋へと来ると、中に入るように促す。それに頷いてフレイは部屋に入ろうとするが、ふと足を止めて見張りを見た。
「ねえ、殺されたから殺して、殺したから殺されて、最後には何が残るのかしらね?」
「それは……」
「私は、何も残らないと思うわ」
そう言い残して、フレイは部屋の中に入って扉を閉めた。その扉を見つめながら、見張りの兵士は重苦しい溜息をもらす。
「何も残らない、か」
何とも言えない虚しさを抱えて、見張りの兵は部屋の前で立ち尽くしていた。
その夜、ウォロシーロフ中佐はベッドの上で飛び起きていた。荒い息を吐き、体には冷や汗が出ている。余程に酷い夢を見たのだろうか、中佐はサイドボードの水差しから水を飲むと、少し落ち着いてベッドに腰を降ろした。
「……なんで、そんな悲しそうな顔をするんだ?」
サイドボードに置かれた写真盾の中で笑っている妻子を見て、ウォロシーロフは両手で顔を覆って嗚咽の声を漏らしだした。お前たちの敵を討とうとしているのに、ずいぶん久しぶりに見た夢のなかの家族は皆が悲しそうな顔をしていた。何故、どうしてと自問するが、それに対する答えは出そうにない。
もう眠れそうになく、ウォロシーロフは考え続けながら朝までそのままでいた。
その日の朝、軍服に着替えたウォロシーロフは部下を伴わずに1人で外に出た。その目で部下たちの様子を見ようと思ったのだが、何時もなら点呼の声が響き訓練を始めている筈が、やけに静かになっている。見れば部下たちは確かに要るのだが、誰もが腰を降ろして顔を伏せたり、空を見上げている。昨日はなぜこうなったと思っていたが、今では彼らの気持ちも理解できるような気がする。
動こうとしない部下たちを叱りつけることもせず、ウォロシーロフは自分のオフィスへと足を運んだ。そこでは部下たちがこの事態にどうすれば良いんだと話し合うグループと、それに加わらず辛そうな顔をしている者に別れている。両者を分けているのが何なのか、ウォロシーロフにもすぐに分かった。辛そうな顔をしているのはカガリやフレイに会って言葉を交わしたことがある者たちだ。
「どうなってるんだ、一体?」
どうしてこんな事が起きている。何故ずっと見なかった家族を夢を今頃見るのだ。ウォロシーロフは自分の席に座るとこのどうにもならない状況に頭を抱えてしまっていた。
ブルーコスモスの拠点を確認したアスランは離れた所にホバー艇を着陸させると、偽装を施して徒歩で基地へと向かっていった。基地は天然の要害ともいえる場所に建設されていて防御力はそれなりにありそうだったが、センサーの存在に注意しながら距離を詰めていくうちにアスランはおかしさを感じてしまった。
「妙だな、ブルーコスモスの基地という割に妙に警戒が緩いというか、やる気が無いのか?」
アスランが見かけた兵士は誰も周辺に注意を払っておらず、明らかに他の事を考えている。まるで末期状態の士気が崩壊した軍のようだ、先に自分たちを襲撃した部隊とはまるで様子が違う。本当に2人を攫った部隊なのかと自信を無くしてくるが、発信機は確かにこの奥からの信号を捕らえている。ただ不思議なのは、何故未だにこの信号が続いているのかだ。
「すぐに見つかって破壊されると思っていたんだがな」
こいつらは帰還後に車両の点検もしていないのだろうか。アスランは信じられないという顔で樹木の枝を飛び移りながら移動していき、ほどなくして基地の所在を確認した。
「あれか、だがフレイたちは居るのか?」
2人が居なかったらこの捜索行が全て無駄になってしまう。頼むから居てくれよと思いながらアスランは建物をじっと監視し続けることにした。
だが、その時ふと頭の中に別の事が過ってしまい、不安そうに背後を振り返った。
「格納庫の方は大丈夫かな、喧嘩をしてなければ良いんだが」
あのカガリとイングリッドをトールが2人だけにする事は無いと思うのだが、それでも不安はぬぐえない。あのカガリなら何かの拍子にイングリッドに殴りかかるくらいはしそうに思えるのだ。
同じ頃、トールたちが隠れている地下格納庫ではちょっとした問題が発生していた。トールとイングリッドは招かれざる訪問者が余計な事をしないよう1つの部屋に閉じ込めていたのだが、今その部屋の中でカガリが椅子に座ったまま白目を剥いて背凭れに体を預けて頭を後ろに倒していて、サイはテーブルの上に上半身を投げ出して昏倒していた。
2人の前にはこの辺りでは手に入りやすい羊肉のローストが乗せられた皿が置かれているのだが、美味しそうな香りを放つその料理を一口食べた途端こうなってしまったのだ。
料理を振舞ったイングリッドは余りの理不尽さに頭を抱えてこんなことは有り得ないと叫んでいる。
「料理本を見ながら完璧に再現したのよ。料理は化学、手順や材料を間違えなければその通りの味が再現されるはずなのにどうして!?」
どうしてこうなるのよと叫ぶイングリッドを横目に見ながら、トールは不思議だなと呟いていた。
「料理本の手順を完璧に再現してたのは俺も見てたからイングリッドがミスをしてないのは分かるんだけど……」
「そうよ、おかしいのよ。一体どんな奇跡が起きたって言うのよ!?」
理不尽過ぎる奇跡の料理を見ながらトールはどうしたものかと考えてしまった。イングリッドが頑張っているのは分かるし、彼女の味覚にも問題は無い。そして料理に謎の工夫なども追加していない。なのに結果だけがおかしくなっている。まるで科学の再現実験で未知の怪現象が起きたかのようだ。
だがどれだけ考えてもトールにはこの謎の結果を説明することが出来ず、無事に元の世界に帰れたらうちのカガリ経由でオーブの科学者に投げてみるのも面白いかなと考えていた。
だが、その前に1つだけトールには引っ掛かっている事があった。
「奇跡の料理って、こういう時に使う言葉かなあ?」
こういうのは美味しい料理とかに使う言葉であって、人を一口で抹殺しかねない劇物に使う言葉ではない気がするんだが。あと、イングリッドは多分気付いていないが興奮のせいか何時もの丁寧な喋り方じゃなくなっている。これがイングリッドの本来の口調なのかなとトールは思っていた。
なおその後目を覚ました2人に話を聞いたら、なんだか天に上るような感覚だったのに突然現れた見覚えのある年頃のフレイに捕まって、返品着払いの札を貼られてまだ来ちゃ駄目でしょと怒鳴られて叩き返されて気が付いたと言っていた。一体何があったのだろうか。サイは亡くなったフレイが助けてくれたのかもと言っていたが、聞かされたトールは返品はともかく着払いって何を払わされるんだろうと考えていた。
こうしてどうにか一命を取り留めた2人の部屋にイングリッドが出来立ての夕食を持ってきたのは、それから僅か2時間後の事であった。手料理を盛ったイングリッドの姿にカガリとサイが顔色を真っ青にして震えだしていたが、イングリッドは気にする様子も無くテーブルの上に料理を盛った皿を置いている。
室内から再び聞こえた断末魔の悲鳴にイングリッドの後ろから部屋に入ってきたトールは意識を持っていかれた2人を見て、次は止めた方が良いかなあと困り顔で苦笑いを浮かべていた時、唐突に格納庫から無線の着信を告げる音が聞こえてきた。
その日の夜、またウォロシーロフは夢を見た。夢の中で妻子は悲しそうな顔でこちらを見ている。何故そんな顔をするのだ、俺はお前たちの敵を討とうとこんなに頑張ってきたのに、分かってくれないのか。
どうしても理由が分からないままに妻子に手を伸ばそうとしたウォロシーロフは、何かに引っ張られるのを感じてそちらを見る。そこには2人の小さな子供が居て、自分の服の裾を掴んでいた。一体誰だと考えたが、その顔には見覚えが無い。だが、何故かそれを振りほどこうとは思わなかった。
「彼女たちの言うように、もう止めろと言うのか?」
自分でも何故そんな事を言ったのか分からない。だがそう言うと子供たちはニコッと笑って手を放してくれた。それで一歩前に出れたウォロシーロフは、それまで悲しそうな顔をしていた家族が初めて微笑んでくれているのに気づいた。
「あ……」
家族に近付けたウォロシーロフは妻に向けて手を伸ばした、触れられるではと期待して。
そこで、ウォロシーロフは目を覚ました。基地内に警報が鳴り響き、大勢が走り回る音がする。すでに夜は明けているようだが、遂にコンパスが来たのだろうか。上半身を起こしてウォロシーロフは自分が泣いていたことに気付き、右腕でそれを拭うと起き上がって外に出た。そして近くを走っている兵士を捕まえて状況を確かめる。
「どうした、何があった?」
「それが、見た事も無いMSがすぐそこに現れました。もうすぐ基地にまで来ます」
「コンパスか?」
「いえ、コンパスの機体ではないようです」
コンパスの機体ではないなら何処のMSだと思ったが、ここに居ても仕方が無い。ウォロシーロフは司令室に入ると中の部下たちに状況を確認した。
「状況はどうなっている、未確認のMSとは何だ?」
「あ、中佐。それが、こちらの識別に載っていない機体が現れました。もうすぐここに現れます」
「迎撃はどうなっている?」
「戦車隊が牽制を試みましたが、全く相手にされなかったようです。ビームが直撃しましたが効果が無かったという報告も」
「……何が来たんだ?」
実弾が効かないならPS装甲機だと思うが、ビームを受け付けないMSなど聞いたことも無い。ウォロシーロフたちが戸惑っている間に戦いの音は近付き、遂にMSの姿が基地の前に現れて地上に着地した。こちらのMSは距離をとって囲もうとしているが、気にしている様子もない。
そしてそのMSは外部スピーカーか何かでこちらに話しかけてきた。
「貴軍が拘束中のカガリ・ユラ・アスハとフレイ・アルスターの即時解放と引き渡しを要求します。これが入れられない場合、貴軍を殲滅して奪還させていただきます」
なんとも無茶苦茶な要求だ、たった1機でこちらに勝てるというつもりあのだろうか。だが、あの2人を助けに来たというのが気にかかる。まだ何処にも伝えていない彼女たちの誘拐を何故知っているのだ。
ウォロシーロフの感じている疑問にクリスピーが答えてくれた。
「あの声は、村で聞いた覚えがありますな」
「村でだと?」
「はい、恐らく彼女たちの仲間ではないかと」
そういう事かと頷き、改めてMSを見る。何処の国もMSにも似ていないように思えたが、強いて言うならザフトのMSの面影がある。これは何なのだと思っていると、参謀の1人が声を上げた。
「そうだ、あれはルドラです」
「ルドラ?」
「例のファウンデーションのMSです。以前に写真で見た事があります」
「ファウンデーションの。関係者は全滅させられたと聞いていたが、まだ生き残りが居たのか?」
つまりファウンデーションの残党かと思ったが、それが何故敵対したオーブの代表を助けに来るのか。それがどうにも分からずに考えていた。いや、そもそも最初からおかしいのだ。なぜオーブの代表があんな村に居た。何故ファウンデーションの残党が助けに来る。全く話が繋がらなくて考え込んで、ようやく自分たちが間違えていたのではという可能性に思い至った。
「まさか、彼女はカガリ・ユラ・アスハではないのか?」
「ですが、あのMSはカガリ・ユラ・アスハとフレイ・アルスターを解放しろと言っています」
「……駄目だな、話が全く繋がらない。」
何がどうして両者が結びつくのかが全く分からない。分からないが、ウォロシーロフはそれ以上は考えるのを止めた。
「……あの2人を連れてこい。丁重にな」
「宜しいのですか?」
「ああ、どうせあれが暴れれば我々は全滅だ。それに……」
もう良いのだ、と言いかけてウォロシーロフは口を閉ざした。黙った上官に部下はどうしたのかと思ったが、1人が敬礼を残して部屋を後にした。そしてウォロシーロフは何も言わず、黙って外に出ていこうとする。それを見てクリスピーが慌てて後を追いかけた。
「中佐、どうするのです?」
「要求を呑もうと思ってな」
「ですが、それでは」
「……大尉、君は夢に家族が出てくると言っていたな?」
「え、あ、その通りですが」
「奥さんは、笑ってくれたかね?」
ウォロシーロフの問いかけに、クリスピーは足を止めてしまった。そして辛そうに顔を反らせる。それを見てウォロシーロフは頷くと、外に向けて歩き始めた。
外に出たウォロシーロフは警戒して銃を向ける兵たちを一瞥すると、右手を追上げて降ろしてそれを制した。銃を降ろした兵隊を下がらせると、ウォロシーロフは一人でルドラへと近づき、両手を軽く上にあげて戦う意思は無いことを知らせる。
「要求を呑もう、だから攻撃は止めてくれ」
「……返してくれるのでしたら攻撃をするつもりはありませんが、どういうことです?」
一戦交える覚悟をしていただろう相手のパイロットの戸惑ったような声が聞こえる。ブルーコスモスがこちらの要求を呑むとは思っていなかったのだろう。少し待つと森の方から物音が聞こえ、1人の武装した兵士が姿を現した。こちらに銃を向けて近づいてくる。
「なんのつもりだ、誘拐した人質を抵抗もせずに返すなんて」
「なるほど、君が追跡者か。別に裏は無い、無事に帰してやる」
「だが、ブルーコスモス強硬派は手段を選ばないだろう?」
「ああ、それは否定しない。だが、何故かな、あの2人を攫ってきて以来、基地の中に厭戦感情が広がるようになってな。どうしてかは分からんのだが私にも」
とても穏やかな顔で話すウォロシーロフに、アスランは毒気を抜かれてしまった。一体何があったのか分からないが、この基地のブルーコスモスは自分たちが来る前にすでに戦意を失っていたのだろうか。
アスランの戸惑いを他所にウォロシーロフは話を続けた。
「彼女らと話してから、ずっと見なかった家族の夢を見るようになった。だが家族は悲しそうな顔をしていたよ」
「……貴方も戦争で家族を亡くしたのか」
「ああ、だがなんでかな、こんな事はもう止めようと考えたら、初めて家族が笑ってくれたんだ。私は家族に叱られていたような気がしてな、それで……」
ウォロシーロフの夢の話を聞いて、アスランは昔に父の言った言葉を思い出した。ナチュラルとの際限のない戦争を続けようとしていた父が、レノアに叱られたような気がしたと言って、終戦を考えるようになったのを。
あの父と同じことが目の前で起きているのだろうか。それは何故と思って、アスランはフレイとカガリを思い浮かべた。
「まさか、あの2人のせい?」
全く関係の無いはずの世界で自分が見たような変化が起き始めている。それはとても信じられるようなものでは無かったが、だが起きてしまっているのだ。
以前に聞いたアズラエルやイタラの話を思い出し、アスランもそれを受け入れるしかないのかと思い始めていた。
「だから、本当に不思議なんだが、私はもう止めようと考えたのだよ」
「何でなのかは分からないが、あの2人の周りでは何時も不思議な事が起きるんだ」
「そうなのか、それを知っていたら誘拐などさせなかったのだがな」
「じゃあ、こうならなかった方が良かったのか?」
アスランの問いにウォロシーロフは少し考えて、苦笑して首を横に振った。それを見てアスランは納得したように笑顔を浮かべ、ルドラを見上げた。
「イングリッド、どうやら大丈夫そうだ」
「ブルーコスモスが、ですか?」
「ああ、ちょっと信じ難い話になるんだが、あとで話すよ」
「信じ難い話はもう何度も聞かされていますよ」
ルドラからの声に楽し気な色が混じる。それを聞いたウォロシーロフは意外壮そうな声を出した。
「君の顔には覚えがあるな。確かアスラン・ザラだったか、以前に資料で見た事がある」
「まあそうなんだが、資料でね。それだと大分印象が違っていたりするのかな?」
「ああ、かなり違うように思う。我々とこうして話し合うような人物では無さそうだったのだがな」
そう言ってウォロシーロフ少佐はルドラを見上げた。ファウンデーションが使用した悪鬼のようなMSと聞いていたが、こうして見ると中々に優美な姿をしている。
「コーディネイターがナチュラルの彼女たちを助けに来るとはな」
「コーディネイターだからって、ナチュラルと友達になれない訳じゃないさ」
「私には信じられんよ」
「そうかな、俺もコーディネイターだが、なんでかナチュラルの友達がいるよ」
フレイのように相手への恐怖を乗り越えて歩み寄れる者は決して多くは無い。だけど、それを乗り越えてきた人たちは確かに居るのだ。一緒に旅するトールもカガリもナチュラルだが、同じように自分に対して隔意を見せてはいない。
アスランの話を何処の世界の話かと不思議そうに聞くウォロシーロフ。それを聞き終えると、ウォロシーロフは少し呆れた声を出した。
「一体どこの世界の話だねそれは?」
「別に、他所の世界の話って訳でもないさ」
「そうかね。だが私にはもう一つ疑問があるよ、カガリ・ユラ・アスハはあんな人物だったかな、とね」
部下に連れられてこちらに歩いてくるカガリとフレイが見える。自分が見聞きしたカガリ・ユラ・アスハの人物像とあそこに居るカガリはどうにも一致しない。だが他人の空似というのはあまりにも似すぎている。彼女は一体何者なのだとウォロシーロフが問うと、アスランは苦笑してしまった。
「そうだな、ここととても良く似た隣の世界のカガリ様だよ」
「隣の世界?」
何を言っているのかと思ったが、何故かそれを疑おうという気にはなれなかった。なるほど、この世界とは違う世界のカガリだというのなら、こういうこともあるのだろうとなぜか思えてしまった。
ウォロシーロフはすっきりとした顔をすると、連れられてきた2人を見た。
「すまなかったな2人とも」
「いや、特に危害を受けた訳ではないし、気にするな」
「でも、良かったんですか。私たちをコンパスへの人質にするつもりだったんじゃ?」
「それはもう大丈夫だ、君たちが気にすることではない」
カガリとフレイに穏やかな顔でウォロシーロフは答えて、クリスピーに目配せする。それを見てクリスピーは部下を下がらせ、2人に向こうに行くように促した。だが、2人は何故かアスランの方には行かず、クリスピーに向き直っている。
「どうした、行かないのか?」
「いや、あんたに礼を言って無くてな」
「礼だと。恨み言を言われる覚えはあるが、感謝される覚えは無いぞ?」
「貴方は知らないでしょうが、私たちは昔に貴方に助けられたことがあるんです」
「私が、君たちをか?」
全く身に覚えが無いが、昔の戦いで逃がした市民の中に混じっていたことがあったのだろうか。クリスピーはどうにも心当たりの無いという顔をしているが、カガリとフレイはもう一度頭を下げると、アスランの方に駆け寄っていった。その途中でフレイはもう一度ウォロシーロフの顔を見て、小首を傾げている。
「ウォロシーロフ中佐、私、貴方と会ったことがある気がするんですが」
「私には無いな、気のせいだろう」
「そう、ですか?」
何か、とても大事な事を忘れている気がするフレイだったが、ウォロシーロフに早く行きなさいと促されてアスランの傍へと駆けていく。そして3人は顔を見合わせると、アスランに連れられて基地から去っていった。
それを見送ったウォロシーロフは、クリスピーに全員を集めるように命じた。
「全員に離脱の許可を出そうと思ってな」
「離脱、ですか?」
「ああ、我々の戦いも、終わり方を考える時が来たのかもしれないと思ってな。彼女たちの話に心を動かされた者が多いというのなら、戦いを抜けたくなった者も居るだろう。あるいは逆にこんな事を言い出した私には付いていけないと考える者もな」
「中佐……」
ウォロシーロフの命令にクリスピーは敬礼を返し、基地の全員を集めるために放送室へと向かった。
このウォロシーロフ中佐の決断でこのブルーコスモス部隊は規模をほぼ半減させるほどの人員の離脱が起き、その大半は戦いから離れて新しい生き方を模索する事になる。そして一部は他のブルーコスモスへと合流していった。
それは一つの武装勢力の単なる分裂に過ぎないと周囲からは見做されて特に注意を引かれることは無かったが、それは誰にも知られないままにこの世界に持ち込まれた異物を拡散させる事となってしまう。
カガリとフレイが無事に救出されてこちらへ戻って来ていた頃、格納庫ではカガリとサイが涙を流して喜びながら器からスプーンで粥を掬って口に運んでいた。
「レトルトの粥がこんなに美味いなんて……」
「安心して料理が食べられるってこんなに幸せな事だったのか……」
料理スキルは無いトールはげっそりとして動く元気もない様子の2人を見ていられずレーションの中にあった温めるだけで食える粥を出してきて調理場で湯煎して出したのだが、その粥を2人は心底有難そうに食べていた。
ジム改 ブルーコスモスの部隊が実質的に1つ消えてしまった。
カガリ ヤバい事件起こしてるじゃないか!
ジム改 大丈夫だ、まだ世界に影響出すほどじゃない。
カガリ どう考えても影響出てるだろこれ。
ジム改 いや、お前元の世界だと世界の形を書き換えるレベルの影響出してるからな。
カガリ 私は何かした覚えは無いんだがな。
ジム改 正確にはフレイと合わさっての相互作用でとんでもないことしたって形だから。
カガリ つまり2人同時に攫われなければここまでにはならなかったと?
ジム改 カガリだけだと説得できなかった。フレイだけだと心変わりはするけどそこから先に行けなかった。
カガリ 怖いなあ。
ジム改 しかも2人の影響は周囲に伝播していくから、元の世界だとフレイと話したアスラン経由でプラントにも影響あったのよね。
カガリ ひょっとして、かなり不味い事やっちゃってるのか私たち?
ジム改 多くの人を纏めて元の世界を救ったんだから良いのだ。
カガリ ところで、これ私とフレイが戦い止めようって考えだからこうなってるが、もし殺せ殺せって考えてたらそっちの影響が出るのか?
ジム改 そりゃまあ、その場合は完全にラスボスになるだろうが。
カガリ 良かった、そっち方向に頑張ってなくて。