16章 逃れられぬ定め
地上で一仕事終えて地球軌道に戻ったシンとルナマリアは怒り心頭のアスランに出迎えられて説教を受けていた。だがシンから有望な人材を見つけたと言われて怒りを収めた。
「それで、その2人は確保できたのか?」
「駄目だった、もう戦争には関わりたくないって言われて」
「腕は確かだったんだけどね。一緒に戦ってみて私やアグネスでも厳しいかもって思うくらいに上手かったし。まあ2人は私の方が強いとか言ってたけど」
ルナマリアの評価にアスランは首を捻った。ナチュラルでそれほどの凄腕が無名でいるなど聞いたことが無かったからだ。ルナマリアより上というならフラガ大佐クラスの筈で、それならスーパーエースとして名を残している筈なのだが。
「終わったことはしょうがない、と言える状況ではないんだぞ。分かってるのかシン?」
「そいつは分かるけど、仕方が無いだろ。やりたくないって奴を無理に連れてきてもさ」
「このままでは俺たちが持たないと言ってるんだ」
フラガ級が2人も来てくれれば大分楽になるのに、何をやってるんだこいつはと使えない奴を見る目でアスランはシンを見る。その視線にシンは反発を覚えたが、言い返すことはしなかった。
シンが言い返して来ないのを見てアスランはもう良いと言い、踵を返して部屋から出ていこうとする。
「何処に行くんだよ?」
「流石に眠らせてもらう、何処かの誰かに仕事を押し付けられて寝れなかったんでな」
シンに恨めし気な視線を送ってアスランは部屋を後にした。それを見送ったシンは流石にヤバいかもという目でルナマリアを振り返った。
「な、なあルナ、俺アスランに殺されないよな?」
「あの2人をスカウト出来てたらまだ言い訳できてただろうけど、失敗したんじゃねえ」
「も、もう一度行こうぜ。連れてくれば何とかなるだろ」
「いや、もう町に居ないでしょ」
いい加減諦めろととルナマリアは言い、胸の前で腕組みしてアグネスを出したらどうかと言った。
「シン、もうアグネスを出して使った方が良いんじゃないの?」
「いや、それはもうやろうとしたんだが」
「どうしたの?」
「責任取って退任するって言われて現在保留中にしてまだ部屋に閉じ込めてる」
「あいつ、逃げる気ね」
前に話したときに状況のヤバさを伝えたのが不味かったか。負けん気が強い奴だったのにあっさり逃げようとするとは、完全に負けたせいで凹んでいるのだろうか。それとも冷静にここに関わると不味いと判断したか、ずれにせよに逃がす訳にはいかなかった。
「とにかく、出撃を納得させるしかないわね。でないと私たちの仕事が全然減らない」
「ああ、あと早めに次の司令に来てもらわないと俺が死にそう」
「……いや、それは多分無理だと思うけど」
「なんで?」
「だって、どう考えても次の司令はシンよ。他に人が居ないじゃない。コノエ艦長も拒否するだろうし」
ルナマリアに言われてシンはポカンとしてしまっていた。これまでずっと代理だと思っていていずれ正式な司令官が来ると思っていたのに、このままこの仕事を続けさせられるのか。そんなのは冗談ではなかった。
「俺は嫌だぞこんな仕事、体が持たないって!?」
「じゃあ、アスランに代わって欲しいってアスハ代表にでも頼むの?」
「やらずに済むならアスランでも我慢する!」
本気の顔で言い切るシンに、そこまでやりたくないのかとルナマリアは呆れてしまった。だが確かに隊長職でも難しかったシンに司令官業務が務まるとは思えない。こんなデスクワークが性にあっているとは思えず、嫌になるのも無理はないだろう。
少し考えたルナマリアは両手でシンの両肩を掴むと、落ち着くように言った。
「今は考えても仕方が無いわ、まず予定していたブルーコスモス部隊への攻撃計画を練りましょう」
「……俺が考えないと駄目か?」
「駄目に決まってるでしょう」
とにかく逃げようとする恋人の頭をルナマリアは力強くぶっ叩いた。
家に戻った5人はどうしたものかと食堂で顔を突き合わせていた。町でルナマリアに続いてシンに会い、更にサイにまで会ってしまったことで、本当にどうしたら良いのかをと5人は相談をして、カガリとトールとフレイは以後町に近付かない方が良いということが決まった。イングリッドも捜索者が居る可能性があるので出向かない方が良い。これからは顔が割れていないアスランが買い物を引き受けることにした。それも極力回数を減らし、必要最低限にする。
ここに引きこもるのかとカガリはうんざりした顔になったが、トールとフレイはもうあんなのは御免だからと受け入れ、イングリッドは私は何も言えませんと受け入れている。
町に出ることが無くなったので自然と彼らの関係は村の中へと広がることになり、カガリとフレイが子供たちと遊んであげたりトールとアスランが機械を直したりして村の人間と交流を深めるようになった。こんな時間が続くと5人の関係もだんだんと打ち解けた物となっていき、いつの間にかフレイ以外の3人はイングリッドを他の仲間と同じように呼び捨てで呼ぶようになっていた。
村の中で新しい生活を作り出している4人だったが、何故かイングリッドだけは村に溶け込もうとせず、村人とも積極的な交流はせずに家に閉じこもっていることが多かった。
今日も彼女は家の居間で椅子に腰かけて買い込んでいた本を読んでいたのだが、そこに帰ってきたトールが声をかけた。
「また読書かい、イングリッド」
「はい、ここは落ち着きますから」
「読書も良いが、たまには外に出た方が良いよ。フレイやカガリと一緒に子供たちの世話をすればどう?」
「……あの子たちがこんな所に住むことになった理由が、私たちファウンデーションにあるかもしれませんから」
「そういう事か」
詳しい事は知らないが、これまでの話で彼女がファウンデーションという国に属していたこと、そのファウンデーションが原因で大きな戦いが起きたことは察している。イングリッドはこの村の人たちが故郷を追われた原因が自分にあるのではと思い、関わろうと思えないのだろう。
トールは飲み物を用意するとイングリッドと向かい合うように椅子に腰を降ろした。
「悩むなとは言わないけど、自分の内に溜め込まない方が良いと思うよ。そういう奴は何時か抱え切れなくなって壊れちまうからさ」
「そういう人に、覚えがあるのですか?」
「ああ、フレイだよ。典型的な自爆型さ」」
トールの言葉にイングリッドは意外そうな顔をした。あの華やかな女性にそんな面があるとは思わなかったのだ。それにトールは昔を思い出す顔で答えた。
「カガリと出会って一緒に居るようになってからだよ、そういう面が鳴りを潜めるようになったのは。お互いに相手には本音を出してるからな」
「本音をですか」
「それまでは誰にも本心を明かさず自分の中で溜め込んで暴走する奴だったよ。まあちょっとした事件があって溜め込んでいた物が溢れ出して、それで一度落ち着いたんだけどね」
「カガリさんに伺った、キラ・ヤマトとの馴れ初めの件ですか?」
「そういや聞いていたんだっけ」
意外そうな顔になったトールは、困ったもんだよと苦笑いを浮かべる。
「キラもフレイもお互いに自爆型だったから、色々大変だったよ。もっと周りに色々聞いて貰えばいいのにな」
「そちらの世界のキラ・ヤマトはどういう人物なんですか?」
「こっちのキラかい。俺が知ってるのは3年位前のキラだけど」
トールは前置きを入れてキラの事を話しだした。
「パイロットとしては凄い奴だったけど、基本的には弱くて臆病な奴だよ。そのくせ無理に頑張って不満を溜め込んで、とにかく不器用な奴なんだ。でもフレイと仲直りしてからは少しずつ昔みたいに明るくなって、付き合い易くなっていったな。フレイにだけじゃなくて俺たちにも弱音を吐けるようになっていったし」
「弱いですか。それに明るくなって?」
「ああ。もっともフレイに言わせるとキラはずっと優しくて弱くて1人にしちゃいけない人らしいけど」
ムズ痒くなるよなとトールが言い、イングリッドは少し顔を赤くしてしまう。だが、トールが語るキラはやはり自分の知るキラ・ヤマトでは無かった。
「私の知るキラ・ヤマトは明るい人というイメージはありません。何時も影を感じさせて、常に何か悩んでいるような感じの人でした」
「…………」
「ラクス・クラインを愛していると言った時のキラ・ヤマトは強い人に見えました。ですから、トールさんの言うキラ・ヤマトはこの世界のキラ・ヤマトとは人物像が一致しません」
「この世界じゃ俺とフレイが死んでるそうだから、そのせいかもな」
この世界のキラが俺たちの死を背負ってしまったのなら、性格も大きく変わるかもしれない。あいつがどういう人生を歩んだのかは分からないが、俺の知るキラよりも多くを奪われてきたのかもしれない。
人殺しになんて向いていないキラだ。それが俺たちを失った後もずっと戦い続けてきたのだとしたら、何処か壊れてしまっているとしても不思議はない。
「他所の世界の事だけど、友達がそんな風になったってのは気持ちの良い話じゃないな」
「トールさんの世界のキラ・ヤマトは、幸せそうでしたか?」
「幸せかどうかは分からないけど、俺たちと一緒に楽しそうに笑っていたよ。戦うのは嫌いだったんだろうけど、あいつなりの戦う理由を見つけてたかな」
俺はキラの死を背負って戦う覚悟を固めた。結局キラは生きていたのでその覚悟が空回りしてしまったが、それで一度決めた覚悟が揺らぐことは無かった。結局人が戦う理由なんてそんなもので良いのだろう。
イングリッドは本を置くと、椅子の背凭れに体を預けた。背を伸ばして体重を後ろに向け、天井を見上げる。
「私には、愛した人が居ました。でも結局最後までその気持ちを伝えられず、彼は爆発するMSから私だけ脱出させて、散っていきました」
「君が乗ってたポッドはそれ?」
トールの問いにイングリッドは頷き、表情を曇らせていく。
「何で彼が私を逃がしたのか、今でも理由が分かりません。彼が私の気持ちに気付いていたという事は無いはずですから、単に咄嗟の判断で動いたのか、ディスティニープランへの使命感から最後の望みを繋ごうとしたのか」
「ディスティニープランねえ」
「でも、私は共に逝きたかった。どうせ叶わぬ想いなら、あそこで一緒に散っていた方が良かった」
天井を見上げながら、イングリッドは呟いた、泣きたいのになぜか涙が出てこない。何時の頃からかオルフェを失った辛さは空虚さへと変わり、その穴を4人との旅が、カガリやフレイとの初めての楽しい時間が少しだけ埋めてくれてどうにか自分を保ってきた。
だけど、どんなに楽しくても彼を失った空虚は、喪失感は無くなることは無かった。自分はこれからもずっとこんなものを抱えて生きていくのだろうか。キラ・ヤマトもこんな苦しさを抱えていたから何時も辛そうだったのだろうか。
俯いて考えていたら近くに足音が近づいてきたので体を起こすと、何時の間にか部屋に入って来ていたらしいアスランが傍に立って気遣うような視線を自分に向けてきていた。
「どうしたんだトール、イングリッドが落ち込んでるようだが?」
「ああ、ちょっと昔話をしててね」
そう言ってトールは立ち上がると、イングリッドの傍に立って笑いかけた。
「フレイは泣きじゃくるキラに泣かないでって言って慰めたらしいけど、本当に辛い時は泣いた方が良いと思うな」
「トールさん?」
「思いっきり泣いて、全部ぶちまけた方が良い時もあるのさ。なんていうか、君を見てると昔のフレイを思い出すんだ。自分のやった事の罪悪感に押し潰されそうになって、でも誰にも本心を明かせなくて壊れそうになってた頃のフレイにね」
「フレイさんと私が、似ていると?」
「ああ。後で聞いた話だけどフレイは偶然ラミアス艦長にぶつかって、艦長に泣きながら色々ぶちまけて少し楽になったらしいんだ。だから、イングリッドも全部ぶちまけた方が良いと思う。効果はフレイで実証済みさ」
イングリッドの肩をポンと叩いて、トールは事情が分からなくて困っている様子のアスランを見た。
「そういう訳だから、後は宜しく」
「ど、どういう事だ?」
「俺は恋人が居る身なんで、浮気認定されそうなことはちょっとね」
前にフレイに胸貸して泣き言聞いてやったのもバレたら怒られそうなんだと呟いてトールは居間から出ていってしまう。それを見送ったアスランは一体何なんだと戸惑いながらトールの後を追おうと一歩踏みだしたが、その時いきなり誰かが背中にぶつかって来て倒れそうになって慌てて体を立て直した。
「えっと?」
どうしたのかと振り返ろうとしたが、背中から嗚咽が聞こえ始めて困ってしまった。何が何だか分からない状況で今度はイングリッドに泣き付かれるとは思わなかった。先ほどの話からフレイに関わる内容だったようだが、それがどうしてこうなっているのか。
まさかこのまま振り払うような事も出来ず、アスランは内心で厄介事を押し付けていったトールに恨み言をぶつけて、そしてラクスに詫びると向き直って泣いているイングリッドを軽く抱きしめてやった。それでイングリッドは大きな声で泣き出してしまい、何度も好きだった男の名を呼び続けている。。
自分の胸の中で知らない男の名を叫び続けるイングリッドを抱きながら、アスランはなんで俺がこんな役回りをさせられないといけないのかと自分の星回りを呪っていた。
居間の扉からこっそりと中を伺っていたトールは、音を立てずにその場を後にした。アスランに押し付けて悪いとは思ったが、流石にミリアリアが居るのに他の女性を抱きしめるのは憚られたのだ。昔からミリアリアの浮気認定は厳しかったのでもしばれたら絶対に無事では済まない。
それに、自分にはああいう場面で女性を慰められる自信も無かった。
「ああいうのは、俺じゃ無理だよな」
フレイなら一緒に泣いてやれるかもしれないが、ああいう役回りは俺では出来ないと思う。俺が話を聞いてやってもそこまで気の利いたアドバイスはしてやれない。フレイやカガリなら彼女の辛さに寄り添って癒してやれるのだろうが、俺はそういうキャラではない。
友達の間に立って仲を取り持ったりするのはアークエンジェル時代に一生分やったと思うから、これくらいは許されても良いだろう。
玄関から外に出たトールはそこで家に入ろうとこちらに来るフレイを見かけた。
「どうしたフレイ?」
「そろそろ子どもたちのお菓子でも準備しようと思って。調理場は使えるわよね?」
「それは使えるが、今は入るのは無しかな」
「え、どういうこと?」
「今、アスランがイングリッドに胸を貸してやっててな。もう少し時間をやって欲しいんだ」
「……そっか、イングリッドさん、やっと吐き出せたんだ」
嬉しそうな顔で良かったと言い、フレイは踵を返して後ろで手を組みながらトールの横に並んで歩きだした。
「やっとっていう事は、フレイはイングリッドがずっと抱え込んでいたのに気づいてたのか?」
「そりゃ、私だって女だもの。なんとなく分かるわよ」
「そういうもんか」
「アスランはキラ以上に鈍いけど、キラと違って気遣いできる紳士だから任せても大丈夫でしょ」
「確かにあれがキラだったらパニック起こして慌てふためいてるだろうな」
だから、アスランに吐き出しているのなら大丈夫だとフレイは安心していた。そしてうんと頷くと、隣の頭一つ高いトールの顔を見上げる。
「イングリッドさんが出てきたら、一緒にお菓子を作るわ。その後みんなで食べましょう」
「カガリは良いのか?」
「……あの娘は、料理を諦めたわ」
「そうか」
まあ国家の代表が料理を作れないのは別に問題にはならないだろうと思ったが、トールは少し笑ってしまった。あの負けず嫌いなカガリが諦めたとは、どれだけ向いていなかったのだろうか。
「そういえば、フレイは料理が出来るようになったんだな。昔はあんな爆弾を作ってたのに?」
「昔の件は悪いことしたと思ってるわよ。まあ、良い教師のおかげで簡単な料理やお菓子くらいは問題なく作れるようになったわ」
「それは良かった、本当に良かった」
凄く実感のこもった声でトールは何度も頷きながら言った。フレイは妙に真剣に言うトールにどうしたのかと思ったが、昔のアークエンジェル時代の料理大会の事を思い出してミリアリアが一品だけ地雷を作るのを思い出して、改めてトールの顔を見上げる。どうやら、彼女の悪癖は未だに改善されていないようだ。
10分ほどしてイングリッドは泣き止み、アスランから離れて謝った。
「すいませんアスランさん、見苦しい所を見せて」
「いや、大丈夫なんだが、一体どうして俺はトールにこんな役割を押し付けられたんだ?」
「……確かに、少しすっきりしました」
何時になく穏やかな笑みを浮かべて頷くイングリッドにアスランは首を傾げた。
「何のことだ、すっきりしたって?」
「いえ、トールさんに本当に辛い時は思いっきり泣いて全部吐き出した方が良いとアドバイスを貰いまして」
「……あいつ、それで最後だけ俺に押し付けていったわけか」
すっきりしたというイングリッドにアスランはこめかみに血管を浮かべて納得し、ちょっと着替えてくるよと言って自室へと行ってしまった。それを見送ったイングリッドはアスランンの背中に頭を下げると、玄関へと歩き出した。
玄関から外に出ると、少し離れた所にフレイが居て出てきた自分を見て手を振ってきた。
「イングリッドさん、一緒にお菓子作りましょう」
「お、お菓子ですか。ですが私は料理をしたことは殆ど無いのですが」
「そんな難しい事はしないから、一緒にやりましょう」
フレイに手を取られて引っ張られて、イングリッドは家の中へと戻って厨房でクッキーを作ることになった。神妙な顔で説明を聞き、既にフレイが用意して寝かせていた生地を使ってクッキーを作り始める。きちんと分量を量って正確に作ろうとするイングリッドにフレイはくすくすと笑い、2人で作ったクッキーをオーブンに入れて焼き上げていく。出来上がったそれは形が歪だったり少し焦げ目があったりしたが、2人は顔を見合わせて笑ってしまった。
それぞれが自分の作った大量のクッキーをお皿に盛って2人が家から出てくると、広場でカガリが子供たちを集めて笑っていて、トールがボール遊びをしてやっていて、アスランが子供の持ってきた玩具を真剣な顔をして直していた。
そこにフレイとイングリッドがクッキーを盛った皿を持ってやってくると、子供たちは歓声を上げて2人の元に駆け寄ってきて、お菓子に手を伸ばしてくる。それにフレイが笑いながらクッキーを配ってやり、イングリッドが戸惑った表情で群がる子供にお皿を上にあげてあたふたと対応している。
いつもの何処か陰のある憂い顔のイングリッドが子供に群がられて慌てている姿を見てカガリとトールが大笑いして、アスランが微笑んでいる。もしかしたら子供と接するのも初めての事なのかもしれない。
3人に笑われているのに気づいたイングリッドは困った顔でフレイを見たが、フレイもくすくすと笑っていてイングリッドは少しむくれてしまった。
「酷いですよ皆さん、笑うなんて」
「ご、御免なさい。でもそんなに慌ててるイングリッドさんは初めて見たから」
「……そ、そうですか?」
フレイに言われて戸惑った顔になるイングリッド。そんなイングリッドを見上げていた子供たちは不思議そうな顔をしていたが、やがて口々にねーちゃんが笑ってると言い出した。
「イングリッド姉ちゃんが笑ってる~、初めて見た!」
「え、そんなに私は笑っていなかった?」
「うん、何時もなんだか寂しそうな顔してた」
子供たちはよく見ている。素直な感想にイングリッドは一瞬固まったが、すぐにそれを笑顔に変えると腰を降ろして視線を子供に合わせる。
「大丈夫、これからはそんな顔しないから」
「じゃあ今度一緒に遊ぼうよ」
「ええ、今度ね」
子供たちにうんと頷いたイングリッドに、子供たちがわっと群がって抱き着いてくる。吃驚したイングリッドはそれを支えようとしたが、耐えきれずに仰向けに転がってしまった。子供たちに抱き着かれたまま仰向けに倒れたイングリッドは戸惑いを浮かべて空を見上げていたが、それがだんだん笑いに代わってきて、声を上げて笑いだしてしまった。
そのまま子供たちと一緒に笑っていると、目の前に手が差し出されてきた。見ればカガリが笑顔でこちらに手を差し出している。
「楽しいな、イングリッド」
「……はい」
カガリに笑顔で返して、イングリッドはその手を取った。
そんな2人を微笑ましく見ていたアスランはイングリッドが落としそうになっているお皿を取り上げるとクッキーを1つ摘まんで口に運ぼうとして、不意に背筋を駆け抜けた怖気に震えてしまった。
「この懐かしくも恐ろしい感覚は、まさか……」
いや、あり得るはずが無い。あれは彼女だけが持つ天性の技の筈だ。幾ら異世界とはいえあんな才能がそうそういる訳が無い。頭が必死にその可能性を否定するが、第六感ともいうべき何かが必死にアスランに訴え続けている。あれはラクス級の劇物だと。
これを口にしたらどうなるかを予想しながらアスランは摘まんだクッキーを無造作に口に放り込んだ
「……ぐあっ!」
一瞬で刈り取られそうになった意識を必死に繋ぎとめる。久々に味わってしまったそれにアスランは戦慄を禁じえなかった。まさか、この世にラクス級の劇物、もとい料理を生み出せる人間が存在したとは。
不味いというレベルでは無いクッキーを口にしたアスランは姿勢を維持出来なくなってその場に片膝を付き、慌てて駆け寄ってきたトールに体を支えられた。
「お、おい、どうしたんだアスラン!?」
心配して声を掛けてくるトールに答えず、アスランは驚いているイングリッドを見た。最も普通の人間ならば一口で意識を刈り取られる、余程頑丈でもまともに動くことも出来なくなるそれを口にしてこれで済んでいるのだから、アスランの体は人間扱いして良いのか疑問になってくる。
「……イングリッド、1つ聞きたいんだが良いか?」
「な、何でしょう?」
「以前に仲間や母上に料理を振舞ったら一口食べてくれただけみたいなことを言っていたが、彼らは食べた後どんな感じだった?」
あの時アスランは恐ろしい光景が脳裏に浮かんでいた。それを必死に振り払っていたのだが、イングリッドは少し考えこむと思い出しながら答えてくれた
「そうですね、確か母上が白目を剥いて動かなくなってオルフェに背負われて出ていって、他は口を押えながらまるで生まれたての小鹿のような足取りで食堂から出て行っていましたね」
「……何故それで自分の料理技術に気付かないんだ?」
ラクスもそうだったが、メシマズスキルの持ち主はどうしてどいつもこいつも自分が劇物を作っているという事を学習してくれないのか。いやフレイは克服したようだから可能性が無い訳ではないのだろうが、それでも何とかして欲しい。
だが、アスランの疑問にフレイが首を傾げながら疑問をぶつけてきた。
「それは変よアスラン、イングリッドさんが使ったクッキー生地は私と同じものよ。イングリッドさんはただ分量測って形を整えて私と一緒に焼いただけだもの。私のと同じ味になる筈よ」
そう言ってフレイは自作を口にし、別に問題は無い事を示す。カガリや子供たちもそれを口にして別におかしなところは無いと言う。同じ材料でただ焼いただけなのに何処に不味くなる要素があると言うのだ。
確かに同じ材料で同じ竈で焼いてここまで味が変わることはおかしい。アスランはフレイのクッキーを口にしながらどういう事なんだと首を捻っていた。
「分からんな、イングリッドが触ると自動でとんでもない味にでもなるのか?」
「そんな事ある訳無いでしょう!」
「そうだなと頷きたいんだが、現実に起きてる訳だし」
流石に滅茶苦茶な事を言われてイングリッドが怒り、アスランも渋々頷くが実際にそのあり得ない事が目の前で起きている訳で、5人も子供たちも一様に首を傾げている。だが子供たちの1人が好奇心に負けたのかイングリッドの皿からクッキーを摘まんで自分の口に入れてしまった。その直後に彼は痙攣を始めてその場にばたりと倒れてしまう。
「お、おい、ヴァシリー!」
「お前、あれだけヤバいって言ってるのに何で食うんだよ!?」
仲間の子供たちが倒れたヴァシリーの周りに集まって抱き起して声を掛けている。それを見てトールが水を取りに行き、カガリとフレイが吐き出させた方が良いんじゃと話し合っている。
それを見ていたイングリッドはその場に崩れ落ちるように両膝を付くと、余りの理不尽さに空を見上げて文句の声を上げてしまった。
「何で私のだけこうなるのよ――!!」
叫ぶイングリッドの脳裏に、久しぶりに懐かしい仲間たちの顔が思い浮かんでくる。そうだ、あの時の翌日にはリデラートが泣きながらもう二度と料理はしないでと縋ってきて、オルフェとシュラが憔悴し切った土気色の顔で何度も頷いていた。ダニエルたちは結局ベッドから出てこれなかったらしい。
あの時は何を大げさなと思っていたが、流石にこうまで指摘されてはもう認めるしかなかった。自分には料理の才能が無いのだと。
この日以降、イングリッドは日常の場ではカガリたちの前であの陰のある表情を見せることは無くなった。
登場人物紹介
アスラン・ザラ 20才
<解説>
外伝の主人公的ポジションに居る男。異世界からやって来たアスランで向こうのザフトでは最高の実力を持つMSパイロットの1人であるが、大戦終盤から後方に回っていてパイロットとしての仕事をする機会は余り無かった。オーブ領事館の駐在武官としてオーブに赴任している。
不幸な星の元に生まれていてとにかく酷い目に合う。常識人であるが故に貧乏くじを引くタイプで、アスラン本人も半ば諦めている。彼はラクス対して恋愛感情を持っているが何故か多くの女性に言い寄られていて、その中でミーアに対しては好意を抱いている。ただ女性関係で酷い目に合う事も多かったので大戦中は男だけの職場に行きたいと思っていた事もあった。負荷が多すぎた為か年の割に枯れていると言われることも。
トール・ケーニッヒ 20才
<解説>
かつてアークエンジェル隊のMSパイロットとして活躍した青年。アークエンジェル隊では地味な存在であったが連合軍でも指折りのエースで、ナチュラル離れした強さでイザークから一方的にライバル視されていた。フレイとはパイロットとして同期であり、能力な相性も良く彼が前衛でフレイが後衛という形が見事に噛み合っていて大戦後半はずっと一緒のチームを組んでいた。
大戦後は母国のオーブに戻りそこでオーブ軍に迎えられてパイロットとして活躍している。ミリアリアという恋人が居るが彼女はカメラマンとして世界中を飛び回っていて、遠距離恋愛が続いている事を寂しいと思っている。
こちらの世界では故人。
カガリ・ユラ・アスハ 20才
<解説>
オーブの代表でオーブの若獅子などと呼ばれることもある先の大戦で名を残した指導者。だが現在はオーブの復興に日々心血を注ぐ苦労人となっていて、往時の獅子吼していた頃の面影は無い。大戦中にフレイと親友となり、共に支え合って戦いを駆け抜けてきた。友人をとても大事にしていて、かつて共に戦った仲間たちには公式の場でなければ対等に接して欲しいと常々言っていて部下たちを困らせている。
本人に自覚は無いが世界を導いたSEEDを持つ者であり、世界を救った英雄。多くの者たちがそれまでの問題を乗り越えて彼女の旗の下へと集まり世界を動かしてしまった。その影響力は現在も健在であり、彼女を良く知る者たちは彼女が動くことを楽しみにしている。
フレイ・アルスター 19才
<解説>
元大西洋連邦の上流階級出身の女性で、現在はオーブ在住の民間人。プラント大戦で活躍したエースで射撃戦と量子通信兵器の運用に天賦の才能を持つ。周囲からはキラ・ヤマトの恋人と見られているが本人にはその自覚は無い。
カガリの親友であり彼女を私的に支えている。またプラント大戦中に出会ったアスランとも仲が良く、2人で居ると恋人と勘違いされる事もある。
本人に自覚は無いが調停者と呼ばれる存在で、出会った多くの人々の心を動かしてカガリとの絆を繋ぎ、世界を動かしてしまった。カガリと異なり表舞台で注目される事は無く、その功績を知るのはその力に気付いた極一部の人間だけである。
こちらの世界では故人。
イングリッド トラドール 21才
<解説>
元ファウンデーションの宰相付き秘書官だった女性。コンパスとの戦いに敗れた後に1人だけ脱出させられ、アスランたちに拾われた。お人好しな4人と共に歩む内に徐々に明るさを見せるようになり、笑顔を見せる事も増えてきた。異世界の情報にカルチャーショックを受ける日々を送っているが、最近は開き直ったのか驚くくらいで済むようになっている。
コーディネイターの上位種であるアコードの生き残りで、能力的には並ぶ者が無いとされている。凄い筈なのだがカガリやフレイと仲良くなるに連れてボケキャラ化が進んできている。また色恋話には興味津々であり、年の割に幼さが見える事も。
シンが恐れていた挫折から這い上がって経験を積んだアコードの道を歩んでいる。
ジム改 イングリッドが仲間になりました。
カガリ なるとどうなるんだ?
ジム改 次の段階に行ける。
カガリ 次の段階?
ジム改 第2クールだな。
カガリ メタいわ!
ジム改 でも重要だぞ、これからは敵も厄介になってくる。
カガリ まさか、キラやアスランが来る?
ジム改 どっちか1人だったらMSさえ揃えば倒せるんだがな。
カガリ 倒せるんだ。
ジム改 アスランとイングリッドが居るから1対1でも対抗できるから。
カガリ でもMSが無いと。
ジム改 現時点でも1機だけ拮抗する機体があるんだがな。
カガリ そういやルドラがあったな。