第50章  平和な休日

 マドラスにたどり着いたアークエンジェルは、基地のドックに入渠するなり早速修理が始められた。何しろヨーロッパでは完全な修理を受ける事は出来なかったので、これが始めての本格的な修理と点検という事になる。まあ試作艦を整備無しで数ヶ月運用する事それ事態が間違っているわけで、これまで動いていた事が既に奇跡のようなものなのだが。
 入渠中の艦艇のクルーには当然の事ながら休暇が出される。普段は忙しくて仕方が無いマリューやナタルも、あんまり忙しくないフラガやキースも暫くは艦を追い出されて休暇を楽しむしかないのだ。

「ふう、困りましたね。私はどうしたら良いんでしょう?」

 ナタルに問われたマリューは荷物袋を担ぎながらナタルを見やった。

「どうしたらって、貴女は休暇をどうするのか考えてなかったの?」
「はい。てっきり艦の補修のチェックをやらされるとばかり考えていましたので」
「ここのドックは設備も人員も充実してるから、私たちの出番はほとんど無いわよ。時々回されてくる報告書に目を通すくらいで、私1人で楽に終わるわ」
「……では、私はどうすれば?」
「街にでも出てショッピングでもしてこれば。どんなに不満でも2週間はやる事無いんだし」
「1人でですか?」

 困った顔で言うナタルに、マリューはニヤァと嫌らしい笑みを口元に浮かべ、表情を崩した。それを見たナタルがビクッと身体を引く。

「何言ってるのよナタルゥ? こういう時こそチャンスじゃないの」
「な、何のことです?」
「惚けちゃって。バゥアー大尉に決まってるじゃない」

 ニヤニヤ笑いを浮かべて近付いてくるマリューに、ナタルはじりじりと後ずさった。何と言うか、表情が追い詰められた小動物のように引き攣っている。対するマリューはもう面白くて仕方ないと言いたげに緩みまくっていた。

「チャンスよ。ここで一気に勝負に出なさい」
「ななななん、何の勝負です!?」
「分かってるくせに。いい、ポイントは如何に男をその気にさせるかよ。少佐と違って大尉はちょっと枯れてるから、うまくムードを作って誘導するか、露骨にアピールするかのどちらを選ぶかが問題だけど」
「…………」

 マリュー御姐さんの為になるデートの決め手講座を、いつの間にかナタルは神妙な顔で聞き入っていた。だが、それが些か熟練というか、男を扱うのに慣れたマリューから出たものだという点に問題があり、マリューには当たり前のことでもナタルには顔から湯気が出そうなほどに刺激的なアドバイスばかりであった。

「じゃあ、頑張りなさいよ、ナタル」
「…………」

 ポンとナタルの肩を叩いてマリューはアークエンジェルから出て行く。残されたナタルは顔を真っ赤にして本当に頭から湯気を出してそうなくらいにのぼせていた。




 同じ頃、アークエンジェルが入渠しているドックの外では、同じ官舎をあてがわれた(というより、フレイが与えられた士官用官舎にカガリとミリアリアが転がり込む形で2週間同居する事になった)3人が荷物袋を背負ったり、鞄を持って歩いていた。

「とりあえず、今日は宿舎に行って部屋割り決めたり、色々しなくちゃね」
「そうだな。まあフレイのおかげで狭いベッドから解放されるんだから、フレイの指示優先だけどな」

 そう、兵士であるミリアリアと傭兵扱いのカガリは本来なら兵士用の共同官舎に放り込まれる筈だったのだが、フレイがそれなら家に来ないかと誘ったのだ。本来なら士官とはいえ、仮官舎に一軒あてがわれる事は無いのだが、仕官の消耗が早くて官舎に空きが多かったのだ。これまでのアークエンジェルの苦労を考えたマドラス基地司令の好意でこれらの官舎が士官に開放され、マリューたちは大きな家を1人で使える幸運に恵まれたのである。
 ちなみに、キラの家にはサイ、トール、カズィが転がり込んでいる。トールは官舎を与えられていたのだが、キラの所に転がり込むからといって辞退している。
 他にもキサカがキースの家に転がり込んでいたりと、中々面白い状態になっている。

「でさあ、午後からどうする。街にでも行く?」
「街かあ。大丈夫かなあ」

 ミリアリアの提案にカガリが考え込む。何か都合が悪い事でもあるのだろうか。そしてフレイもまたすまなそうに両手を顔の前で合わせている。

「御免、私はこれからマドラス基地に行かなくちゃいけないのよ」
「あら、何かあるの?」
「士官は全員司令官に挨拶に行くんだって。艦長に私やトールも出ろと言われてるのよ」
「ふうん、じゃあキラやキースたちも出るんだ」
「そうね。だから悪いけど、街には貴女たちだけで行って頂戴。なんならサイやカズィも誘ってさ」

 フレイに謝られたミリアリアとカガリはどうしたものかと顔を見合わせたが、2人して同時に溜息をつくと、仕方なさそうに微笑を浮かべた。

「まあ、まだ明日もあるし、今日は良いさ」
「そうね、今日は官舎の掃除でもしてましょう。一週間はお世話になるんだし」
「うう、御免」

 すまなそうに謝るフレイに、2人は小さく笑って気にしなくて良いと言うのだった。料理の出来ない3人だが、掃除くらいはできるのだろうか。




 ちなみに、男どもの方はというと……

「何だよこの家、埃が溜まってるぞ」
「こりゃまず掃除しないと使えないよ」
「大変だねえ」
「そうだなあ」

 困り果てたサイとカズィとは対照的に、キラとトールは余裕の表情だ。その一言にサイとカズィがギンと2人を睨む。

「お、お前ら、まさか俺たちに押し付けて逃げ出そうとは思ってないよな?」
「御免ねサイ。これから基地に行かなくちゃいけないんだ」
「ああ、軍人は辛いよなあ」

 そう言ってずりずりと後ずさっていく。それを見たサイとカズィが何か言おうと口を開いた瞬間、2人は脱兎の如く逃げていった。

「待てこらぁ!」
「この卑怯者~~!」

 2人の非難の声は届かず、キラたちが帰ってくる事も無い。サイとカズィは裏切り者2人に憎しみで人が殺せたら、と言わんばかりの憎悪を向けていたのだが、やがてそれも空しくなり、仕方なく掃除道具を手に掃除を始めるのであった。





 マドラス近海では、1隻のザフト潜水空母がマドラス港を監視していた。その中にはもう執念さえ感じさせるしつこさでザラ隊とジュール隊が乗っており、アークエンジェルをここまで追って来たのである。
 潜水艦内に自分用の部屋を与えられたアスランは、そこのモニターからじっとマドラスを見ていた。

「……キラ、お前はそこにいるのか?」

 アークエンジェルがいる以上、それは分かりきった問い掛けである。敵として出てこれば今度こそ倒すと決めているのだが、あそこに居ると思うともう一度会って説得したいという気持ちも出てきてしまう。
 アスランがそんな事で悩んでいると、何時ものように書類の束を抱えたエルフィが入ってきた。

「隊長、今日の仕事ですよ」
「……1日くらい書類を見ない日が欲しいな」
「平和になったら幾らでも満喫してください」

 ピシャリと言ってエルフィはデスクの上に書類の束を載せた。それをパラパラめくりながらアスランは嫌そうに顔を顰める。そこにはまたしても部下たちの出した始末書やら他部署から苦情が積み上げられている。なぜか上司に関する苦情まで混じっている。アスランが世を儚むのも仕方が無いだろう。最近、比喩ではなく生え際が後退しているし。
 それを見たエルフィは仕方なくモニターに手を伸ばした。

「そういえば隊長、マドラスのTVが入るんですよ。気晴らしにどうです?」
「TV? そうだな、それも良いか」

 アスランが同意したので、エルフィは早速モニターを操作してマドラスのTV用電波を受信させた。そして、最初に飛び込んできたのは、なんとも奇妙な宣伝であった。




「何をしている!?」
「はぁ?」
「うちの会社の規則を見ろ!」

 上司が指差す先には、天井から下げられた看板があり、そこにはこう書かれている。
【必ず半ズボン着用】

「さあ、これを穿くんだ」

 上司が半ズボンを手に迫ってくる。彼は焦りながら仲間を振り返るが、そこには半ズボンを穿いた部下たちがずらりと立ち並び「係長、早く穿いてください。規則なんですから」と言っていた。
 彼はズボンを剥ぎ取られそうになりながら電話を取り、とっさに番号を押した。

 部下や上司に恵まれなかった時は、フリーダイヤル○○○-×××××・・・・・・

「ヘルプゥゥゥゥゥ!!」
『はい、スタッフサービスです』




「……なんでしょうね、この宣伝?」

 顔に苦笑を貼り付けながら振り返ると、なぜかアスランは思い詰めた顔で受話器を手に外線に繋ごうとしている所であった。エルフィの笑顔が僅かに引き攣る。

「た、隊長、何をしてるんですか?」
「はっ!?」

 ○○○-××まで押した辺りで我に返ったアスランは、なにやらジト~とした目で見てくるエルフィの視線に耐えられないように慌てふためいて弁解を始めた。

「ち、違うぞ、別に俺はイザークやディアッカの代わりの部下を派遣してもらおうとか、クルーゼ隊長の代わりの上司が欲しいなんてこれっぽっちも思ってないぞ。ましてこいつら居なくなれば仕事が減って助かるなあ、なんて欠片も考えてないからな!」

 おもいっきり本音を暴露しまくるアスランに、エルフィは情けなさの余りひたと机に手を付いた。

「隊長、一応お2人とも赤を着るザフトのエリートなんですよ。それをなんです。ちょっと手がかかるくらいでスタッフサービスに変わってもらおうだなんて、何考えてるんですか?」
「いや、もしかしたら意外と優秀な社員が派遣されてくるかも」
「仮にそうだとしても、民間人を戦わせるわけにはいかないでしょう。それにクルーゼ隊長の代わりなんて、本気で言ってるんですか?」
「いや、クルーゼ隊長と話すだけで最近は胃が痛いし、このままだと俺は胃潰瘍で後送されかねん」
「それはそうですけど……」

 アスランの胃薬使用量が増えている事を知るエルフィは、アスランの言葉に渋々頷いた。確かにこのままだとアスランは胃を壊して倒れるだろう。

「でも、本当に派遣してもらったら、どんな奴らが来たのかな?」
「そうですねえ……有名なサーペントテイルの劾とか」
「ああ、それはそれで扱い辛そうだなあ」

 はっはっはと笑い会う2人。だが、その時マドラス基地でクシャミをする目付きの鋭い傭兵が居た事を2人は知らなかった。

「あら、どうしたの劾?」
「いや、急に鼻がむずむずしてな」
「風邪でもひいたんじゃないのか。健康管理がなってない証拠だ」
「イライジャ、言い過ぎよ」

 ロレッタに窘められてイライジャは不満そうに顔を逸らせた。3人が居るのはマドラス基地の本部で、色々と溜まった事務書類を提出しに来ているのだ。

「ふう、傭兵家業も楽ではない」
「仕方ないでしょ。今は大西洋連邦に雇われてるんだから」
「金払いが良いから文句言えないしな。何しろうちは貧乏だ」
「くっ、ブルーフレームは高く付きすぎる。やはり実弾は止めてビーム主体に変えるべきだろうか。それともロウのように剣一本で頑張るか?」

 言った瞬間、劾は2人に張り倒された。

「劾、装甲の修理代幾らすると思ってるの。前の戦闘なんかメインフレームにまで及んで、家の台所は火の車なのよ」
「レッドフレームは格闘戦使用だろうが。あんた、家を破産させる気か?」
「す、すまん……」

 2人に言われて劾は仕方なく謝った。
 傭兵の契約というものにも色々あるが、劾が請けている仕事はMSを擁する傭兵部隊としては普通の仕事である。まず契約期間に応じた基本手当てを渡され、戦闘1回ごとに戦闘手当てを受け取る。敵1機ごとに追加ボーナスを得る。敵機を捕獲したりすれば更にボーナスを出す。
 その代わり、武器弾薬や食料、推進剤、装甲板といった消耗品は全て自弁となる。大西洋連邦から買うわけだ。お情けで調達価格は正規軍の調達価格と同じにしてもらっているのだが、これでもかなり苦しい。サーペントテイルの台所は年中火の車なのである。
 そんな事を話していると、アナウンスがロレッタを呼び出した。

『サーペントテイルのロレッタ・アジャーさん。事務処理が出来ました。13番窓口までお越しください』
「あら、終わったみたいね。劾、次で敵MSをせめて3機は落としてくれないと、本当に大赤字になるからね」
「……努力する」

 地球圏屈指の傭兵部隊、サーペントテイルといえど、大赤字は怖いらしかった。ついでに言うと、通帳片手に青筋浮かべるロレッタさんもかなり怖かった。イライジャさんといえば、情報誌を片手に簡単にできるアルバイトなどを探している。もしかしたら隊員の給料さえ支払いが滞っているのかもしれない。





 手続きを終えて出てきた3人の前に、無人タクシーから降りてきた奇妙な3人組が現れた。2人は連合の見習い兵士の制服を着ているが、1人はくたびれた野戦服を着ている。傭兵か何かだろうか。

「でも良いの、私たちまで付いてきて?」
「別に構わないわよ。食堂でお昼でも食べて待ってて。支払いは私がするから」
「おお、太っ腹だな」
「……なんか複雑な表現ね。私が太ったみたいじゃない、カガリ」
「でも良いのフレイ、あなたそんなにお小遣いあったっけ?」
「准尉になってから給料が二ヵ月分くらい溜まってるからね。二等兵と准尉じゃ給料がかなり違うのよ。だから2人がお茶してるくらいの払いはなんとも無いわ」
「そういや、軍隊ってのは給料に随分差があったな」
「そうなのよねえ。まあ、懐が暖かいのは良いことだけど」

 何やら3人で許し難い事を話している。ロレッタの額に浮かぶ青筋が増え、イライジャが拳を握り締め、劾の肩がピクピク震えている。そして、怒りから出た行動は、実に大人気ないものであった。
 わざととしか思えないが、ぶつかった相手に劾が文句を付けた。

「周りを見て歩け、坊主」
「……ぼ、坊主?」

 カガリの顔がいきなり険しくなる。何やら腰が微妙に下がり、喧嘩の態勢を取る。

「お前、そっちからぶつかっておいて、何いちゃもん付けてやがる!」
「はっ、威勢だけは一人前だな、坊主」

 睨み合う劾とカガリ。それを面白そうに見るイライジャとどうしようかと考えているロレッタ。だが、カガリの方はフレイがその手を取った。

「カガリ、関わらない方が良いわよ」
「フレイ、これは私のプライドの問題だ!」
「カガリ? 女みたいな名前だな」

 馬鹿にするような劾の言葉がカガリの堪忍袋を締めていた細く脆い糸を一瞬でぶちきった。頭の中で何かが弾けるイメージが浮かび、誰の目にも留まらぬ速さで右足が振り上げられる。

「私は、女だあぁぁ―――!!」
「はぉうぁ!!」

 振り上げられた右足が見事に劾の股間にクリーンヒットし、何とも言えない悲痛な声を上げる。そのまま股間を押さえてその場に蹲り、脂汗を流しながらピクピクと痙攣している劾を、カガリは何とも晴れ晴れとした笑顔で見下ろしていた。

「ふん、失礼な事を言った報いだな」
「あ、あの、カガリ、これはちょっと酷いんじゃあ?」

 フレイがおずおずと話しかけるが、カガリは実に気持ちよさそうである。そして、遅ればせながらキラとトールもやってきた。

「あれ、何してるの3人とも?」
「そこで蹲ってる人はどうした?」

 不思議そうに問い掛けてくる2人にミリアリアが簡単に事情を説明し、それを聞いた2人は心底同情した眼差しで劾を見やる。これは男にしか分からぬこの世の地獄なのだ。

「しかし、中々復活しないわね。キラの時はもっと早く復活したんだけど」
「何のこと、フレイ?」

 妙な事を口走ったフレイにミリアリアが問いかける。フレイは言ってから自分が何を口走ったのか気付き、慌てて誤魔化しにかかった。

「な、なんでもないわよ、気にしないで」
「……何があったのよ、フレイ?」

 邪悪な笑みを浮かべ、ずいっと顔を寄せてくるミリアリアに、フレイは渋々ポツリと白状した。

「その、キラって結構乱暴な所があるから、つい嫌がって暴れたんだけど、その時に膝が、ね」

 肝心な所はぼかしているが、何が言いたいのかはよく分かってしまったミリアリアとカガリは、揃ってポンとフレイの肩を叩いた。

「まあ、その話の続きは家に帰ってからゆっくりと聞かせてもらいましょう」
「そうだな、後学のためにも夕食後にじっくりな」
「え、ええと、言わなくちゃ駄目?」
「「駄目」」

 きっぱりと言い切る2人の目は微妙に熱を帯びており、フレイは引き攣りまくった顔で頷くしか出来なかった。そしてキラはというと、こちらは汗をかきながら視線を泳がせており、ポンと置かれたトールの手にビクリと反応した。

「何というか、若さゆえの過ちって奴だな、キラ」
「アハハハハ、ナニヲイッテルンダイとーる、ボクガふれいにヒドイコトスルワケナイジャナイカ」

 無茶苦茶怪しい返事だった。





 苦悶に喘ぎ、内股でヒョコヒョコと仲間に連れられて行った男を見送った5人は、時間も無いからと急いで中に入った。ロビーには既にマリューやナタル、フラガ、キース、ノイマンが待っていた。

「すいません、遅くなりました」
「いや、まだ時間には間があるから、気にせんでも良いぞ」

 フラガが右手を上げて答えてくる。キースも読んでいた新聞を畳み、腰掛から腰を上げた。

「やれやれ、軍務に付いているとどうにも世界情勢から置いていかれますな。知らぬ間に色々と起きている」
「どういう事がありましたか?」
「ああ、ザフトが南米と東南アジアで攻勢を強めてるらしい。中東は突破されそうになってるそうだ。東アジア共和国とユーラシア連邦の弱体化は避けられないだろうな」

 キースの表情は険しい。過去が過去であるだけに、連合内の軍事バランスが崩れるのは面白くないのだろう。彼自身は余り大西洋連邦に肩入れしている訳ではないらしい。

「まあ、ザフトにしてみればヨーロッパと宇宙での敗北を取り返したいのだろうけど、無茶をする。これだけの規模で攻勢に出たら消費する物資は半端な量じゃないだろうに」
「ザフトは戦力的には劣勢にあるのに、よく多方面で同時攻勢に出られましたね」

 ナタルが感心している。だが、キースは苛立たしげに新聞の拍子を軽く弾いた。

「無理してるだけさ。こんな無茶は大西洋連邦だってそうそうはしないよ。何があったか知らないが、向こうも色々事情があるらしい」
「事情ですか?」
「そう、理由は分からないけど、どうやらザフトは実績を欲しがってるみたいだな。あるいは、何か別に作戦を用意しているかだけど、まさかこの規模で陽動とは思えないし」
「ふむ、敵も大変だという事ですか」

 なるほどと頷くナタル。感心しているナタルを見てキースはやれやれと肩を竦めてしまった。どうしても自分達の会話はこういう方向を向いてしまうらしい。
 だが、こんな所で世界情勢を気にしている訳にもいかない。とりあえずは当面の課題を片付けるべきだろう。マリューがパンパンと両手を叩いて引率の先生のように声をかける。

「はいはい、それじゃあ行きますよ。カガリさんとハゥ二等兵はここで待ってる事、勝手に変な所に行くんじゃないわよ」
「分かってますよ」
「払いはフレイ持ち出し、何か適当に食べてようぜ」
「……払うと言っておいてなんだけど、余り高いのを食べまくるのは止めてよね」

 何となく不安を感じたフレイは一応2人に釘を刺しておいたが、それが有効に機能するかどうかは甚だ危ぶまれる所だった。

「それじゃあ、何頼もうか」
「ねえカガリさん、このマンゴージュースってどうかな?」
「いやいや、こっちの魚料理のほうが」

 2人が楽しそうにメニューを選ぶ声が聞こえてくる。どうやらフレイの刺した釘は何の役にも立ちそうもなかった。
 はあ、と溜息をつく私に、ナタルさんが少し心配そうに声をかけてくる。

「どうしたフレイ、そんな疲れた溜息をついて?」
「いえ、2人に好きな物を食べてもいい、と言ったんですけど」
「なるほど、それは迂闊だったな」

 女の子は奢りという言葉を聞いたら容赦はしない。2人は高いものをこれでもかと食べてさぞかし満足するに違いない。ナタルは肩を落とすフレイに同情混じりの視線を向けつつ、ぽんとその肩を叩いた。人はこうやって強くなっていくのだ。





 司令官オフィスにやってきた8人は、そこでマドラス基地司令のスレイマン少将と、民間人らしい30代半ばと思われる男性と面会する事になった。その民間人を見た時、キースは表情を露骨なまでに嫌悪に歪め、相手は面白そうにキースを見ている。
 キースの変化に驚いたナタルがキースに問いかけた。

「あの、どうかしましたか、大尉?」
「……いや、何でもない、気にしないでくれ」

 キースはナタルの問いを誤魔化した。だが、キースが露骨な嫌悪感を見せるなど滅多にあることではなく、この民間人がキースと深い関係にあることは間違いないだろう。
 キースはそれ以上民間人と視線を合わせる事は無く、スレイマン少将に向き直っていた。
 スレイマンは8人にこれまでの苦労を労うと共に、アークエンジェル隊のこれまでの多大な戦果を褒め称え、幾人かの昇進を伝えてきた。

「昇進、ですか?」

 マリューが訝しげに聞き直す。つい4ヶ月ほど前に少佐に昇進したばかりであり、また昇進だなどと言われても正直信じられるものではない。パイロットならいざ知らず、技術畑上がりの自分が26歳で少佐というだけでも異例なのだ。
 だが、マリューの疑問に答えたのはスレイマンではなく、司令官オフィスに置かれているソファーに腰を沈める民間人であった。

「それは簡単ですよ。たった1隻でザフトに打撃を与え続ける連合軍の最新鋭戦艦とそれに乗るエース部隊。そして数日前には中央アジアを西進していたザフト第4軍にさえ痛撃を与えて撤退に追い込んでいる。宣伝材料としてはこれ以上の材料は無いでしょう」
「……つまり、英雄が欲しい、と?」
「まあそういう事だね。確かに連合もMSを配備しだして、ザフトの攻勢に対抗できるようにはなってきたけど、やはりここは景気の良い話が欲しい」

 民間人の男が浮かべる笑いに、マリューは生理的な嫌悪感を隠せなかった。間違いない、私はこの男が嫌いなのだ。
 そして、この男は8人の機嫌を決定的なまでに悪くする内容を話し出した。

「それに、美人の艦長さんに大西洋連邦事務次官の遺児である『真紅の戦乙女』フレイ・アルスター嬢、『エンディミオンの鷹』ムウ・ラ・フラガ少佐、『エメラルドの死神』キーエンス・バゥアー大尉といったエース3人に、ナチュラルの両親の為に戦うコーディネイターの少年。これは宣伝材料としては実に使い易い。上手く流せば連合諸国の戦意を高揚させる事が出来ます」
「……英雄願望か、人は何時もヒーローを求めている」
「そういう事だよ、キーエンス・バゥアー」

 2人の視線が再びぶつかり合う。お互いに相手を知っているのだろう。何やら不穏な空気を纏うキースの変化を察したスレイマンが慌てて場を取り繕うように辞令を取り出す。

「ま、まあ、そういう事だ。ラミアス艦長は中佐に、バジルール副長は大尉に、ノイマン操舵士は中尉に、アルスター、ケーニッヒ両名は少尉にそれぞれ昇進してもらう。下士官や兵士達にも昇進する者はいるので、艦長から通達してやってくれたまえ」
「……分かり、ました」

 マリューは表面平然と、内心では不満が渦巻いているのがはっきりしている返事でそれを受け取った。
 これで会見は終わりの筈だったのだが、何故かソファーに座る民間人がキースを呼び止めた。

「まあ待ちたまえ。久しぶりに会ったのだ。どうだい、旧交を温める意味でも一緒に飲みにでも?」
「お前と温めるような関係があったか?」
「酷い事言うね。これでも僕は君を喧嘩友達だと思っていたんだよ」

 やれやれと肩を竦める男に、キースは仕方なくその足を止めた。

「いいいだろう。で、何処に行くんだ?」
「任せておきたまえ。僕が誘うんだ、それなりの所へ案内してあげるよ。ああ、何ならそちらの皆さんも一緒にどうです?」

 男から誘われた7人はどうしたものかと顔を見合わせる。どう考えてもこの男は友達になれそうもない男だが、断ると後で色々と問題になる気もする。

「……分かりました。私とフラガ少佐でよければ」
「え?」

 俺も? と言いたげなフラガを目だけで制し、マリューは男の誘いに応じる答えを返したが、何故か男は首を縦には振らなかった。

「僕としてはそちらの少年少女の方に興味があるんだけどねえ」

 そう言って民間人の男はキラとフレイを見やる。その視線を受けたフレイはビクリと身を振るわせてキラの背中に隠れ、キラは何やら息苦しそうに身動ぎする。だが何故か男はフレイの動きを見て意外そうな表情になった。

「おや、アルスター嬢はその少年を信頼しているのですかな。お父様が見たらどういう顔をなさるでしょうねえ」

 男の言葉にフレイの顔色が変わり、キースが顔を顰めて小さく舌打ちした。フレイはキラの背中から出て男に問いかけてしまう。

「パパを、パパを知ってるの?」
「勿論知ってますとも。まあ、余り付き合いがあったわけじゃないですがね」
「貴方は、一体誰なの。パパと知り合いって、政府の人なの?」
「まあ、政府の人では無いんですが、政府と関わりのある人ですよ。私は連合軍需産業理事を務めていますムルタ・アズラエルです。ブルーコスモスの代表も務めていますよ。君のお父様とも何度か会っていますよ。ついでに、そちらのキーエンスとは昔馴染みなんですよ」

 そう言ってアズラエルはキースを見る。キースは心底嫌そうに、だが真正面からその視線を受け止めていた。

「昔馴染み、ね」
「昔馴染みには違いないだろう。君は相変わらず僕の事が嫌いなようだけど、僕は君の事を結構気に入っていたんだよ。何しろ僕にはっきりと噛み付いてきたのは君くらいだったからね。鬱陶しくはあったけど、1人くらいは君みたいなのが居た方が良い」
「ふん、お前のやり方は過激過ぎる」
「相変わらず、甘い事だね。そんな事だからこんな戦争が起きたんだろう?」
「…………」
「あの日、君がパトリックとシーゲルを始末するのに賛同してくれてれば、事態がここまで悪化する前にコーディネイターどもの首根っこを押さえられたのにね」

 アズラエルの言葉にその場にいる全員がキースを見た。キースは表情を殺していたが、強く噛み締めている口元がその内心の憤りの激しさを示しているかのようであった。
 アズラエルはキースを楽しげに見やると、小さく笑いながら言い過ぎた事を謝罪してきた。

「悪いね、少し言い過ぎた。あの時に今のような事態を予想しろと言っても無理な話だしね」
「…………」
「まあ、今日はこれで別れるとしよう。君に殴られたら怪我じゃすまないからね。そう、明日の午後3時ぐらいに人をやるとしよう。ここにいる全員を食事に招待しますよ。何か聞きたい事があるのでしたら、その時にお答えしましょう」

 アズラエルはソファーから立ち上がると、キースの肩をポンと叩き、薄笑いを浮かべて部屋から出て行った。残された人々は何も言わず、ただ棒立ちしているだけのキースに戸惑った視線を向けている。彼がここまで言われ放題になるというのは、いつのも彼を知る者には信じられない事だったから。
 暫くの間、じっと何も言わずにその場に佇んでいたキースであったが、やがて、妙に重々しい息を吐き出すと、スレイマン少将に敬礼をして踵を返した。その背後にナタルが手を伸ばしかけたが、その背中が触れられるのを拒んでいるように見えて、空中で空しく停止してしまう。キースはそのまま何も言わず、黙って司令室から出て行ってしまった。


 キースが出て行った扉を呆然と見ていた7人だったが、ようやく思い出したかのように彼らも司令官オフィスから出て行った。だが、誰もが一様に不満と疲れを見せており、昇進したばかりの軍人にはとても見えなかった。

「アズラエルですか。なんか、一目で嫌な人だと思っちゃいました」
「同感、出来れば2度と会いたくないな」

 キラとトールが愚痴る。よほど印象が悪かったのだろう。いつもなら窘めるナタルやノイマンさえ小さく頷いているのだから、その第一印象の悪さは想像を絶するものがある。ちなみにマリューはアズラエルの名を口にする事さえ嫌だと言いたげに顔を顰め、フラガは不機嫌そうなマリューの様子にどうしたものかと頭を悩ましていた。
 だが、その中でただ1人だけ、アズラエルに興味をもっている者がいた。自分にしか聞こえない程度の声でボソボソと内心を呟いている。

「なんで、ブルーコスモスのTOPと、パパが知り合いなのよ?」

 フレイだ。フレイは父があのような男と知り合いであったという事にショックを受けていたが、同時に湧き上がる疑念を抑えられなくなっていた。そう、自分の父親がブルーコスモスだったのではという疑念を。もしそうならば、父親がコーディネイターを嫌うような言動を繰り返していたのも頷ける。てっきり仕事の都合で問題ばかり起こすコーディネイターを嫌っているのだとばかり思っていたのに、ブルーコスモスに加わる程の憎悪をコーディネイターに対して抱いていたのだろうか。

「もしそうなら、私は……」

 ブルーコスモスの父を持つ娘が、コーディネイターに惹かれるなど滑稽を通り越して性質の悪いジョークだ。昔話の敵味方に別れた男女の恋物語じゃあるまいし、現実に起きたら誰もが軽蔑するであろうシチュエーションだ。そして自分は物語の主人公やヒロインを真似できるほどに強くはない。

 ナチュラルとコーディネイター、これまで必死に問題は無いと自分に言い聞かせてきた現実が、再び自分の前に立ち塞がってきたのだ。自分はキラが好きだ、この答えには偽りはない。だが、現実は自分の想いを否定するのではないのか。自分の気持ちが如何であれ、世界の流れは自分の想いを許さないのではないのか。今この瞬間にも何処かでナチュラルとコーディネイターは戦い、血を流している筈だ。その現実を前にすれば、自分の想いなど、暴風の前の蝋燭の灯火にも等しいのではないのか。
 フレイはいつも自分の中にあるもう1つの答えと再び向き合う事態に直面する事になった。そう、自分の想いは、間違っているという答えに。


後書き

ジム改 ようやくここまで着ました。カガリも大活躍。
カガリ ……(無言で拳銃を取り出す)
ジム改 カ、カガリ君、その拳銃は何?
カガリ くっくっく、よくも前は逃げてくれたな。
ジム改 ふっ、古い事に拘っては前には進めないよ。
カガリ 今回出てきた劾はレギュラーなのか?
ジム改 んにゃ、脇役。
カガリ アスランたちも来てるし、オーブは遠いかなあ。
ジム改 あと少しだよ。でもその前に幾つかあるけどね。
カガリ 私の見せ場は?
ジム改 あると良いねえ。
カガリ あああ、こうなったら波乱ありそうなキラとフレイに割り込む!
ジム改 それやりゃ目立つだろうけど、あれに割り込む勇気がある?
カガリ うぐっ……

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